知的財産ってわかりますか・中村佳正

無から有を生みたい人、必見

第122回
書くことでしか救われない!

えっ、これで?と思われるかもしれませんが、
コラムを連載させていただくようになってから
言葉に対して多少神経を使うようになりました。
もっともっと神経を使っていかなければと思いつつ
書き出される文章はまだまだです。
あと少し、もうちょっとの気持ちを日々強くしています。

そんななかで私の支えになっている本とコラムがあります。
見城徹さんの「編集者という病い」という本と、
山本夏彦さんのコラムです。
そうです、邱先生が第2915回第2916回でご紹介下さいました。
ちょうど今年の年明けくらいから
私もコラムを書くことの難しさについて素人ながら悩みはじめて、
ご紹介いただいてから直ぐに購入して読みました。
夏彦さんのコラムは傑作選だけに留まらず、
他の作品にも手が伸びて今でも読んでいます。
言葉の骨董品に触れる楽しみのようなものも感じはじめました。

見城さんの本の中では、
そのハードボイルドな生き方にまず驚きましたが、
そんな見城さんでも
小説家にはなりたくてもなれないと思ったというくだりがあります。
作家には
「文字表現の世界を創ることによる
自己救済への止み難い魂の衝動そのもの」
(以上、見城さんの言葉です)があるけれども
自分にはとてもそんな衝動はない、
けれども編集者として
本物の作家たちと切り結んでいきたかったのだと話されています。

物を書くことがいかに真剣なものかということを、
頭でよりももう少し深く知ると同時に、
私のいる業界も「書くことでしか救われない」面があることを
思い出しました。

特許出願は、文字で表現された明細書と
説明図などが描かれた図面とで構成されています。
発明の理解のために図面が果たす役割は大きいものの、
図面よりも言葉で何が明記されているかの方が
後々重要になってきます。
訴訟の場ではてき面にあらわれます。
ですから明細書を書くときには
心がけなければならないことが大小さまざまにあって、
より良き表現を心がけてずっと頑張ってきました。
もちろんこれからも頑張ります。

でも、コラムを書くとなるとまたチャンネルが変わるんですね。
文章を書くことについての互換性がありません。
もっとも小説を書くときと詩を書くときとでは
使う頭の筋肉が違うと言われていた作家がいらっしゃいましたので、
知財コラムと特許明細書では言わずもがなですね。


←前回記事へ

2008年5月29日(木)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ