元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第389回
妊産婦は病人ではない

さて、仰向けに寝かされたまま、
産婦人科医のドクハラ行為に簡単にノーといえるか?
少数の特異な医師の
不埒な行動と片付けてよいものか? 
産婦人科医のドクハラ、セクドクハラの根源について
もう少し考えてみましょう。

まえに、週刊金曜日のドクハラ特集
「女は産む道具じゃない」という特集記事を取り上げたましたが、
エッセイスト・逸見晴恵さんと、
産婦人科医・対馬ルミ子さんは対談で、
こうした産婦人科のそのもののあり方に、
じつに女性らしく冷静の問題点を指摘していました。

逸見 「デリケートな部分を内診される、
    その内診台に上がるということに、まず抵抗がありますね」

対馬 「私が昔、産婦人科の研修をしているとには、
    教授や研修医など十数名で、
    外来の内診が行われたりしました」(略)

対馬 「女性は、医療の現場では、医師―患者、
    男性―女性と二重の上下関係に置かれてきました」

この対談では、
女性患者を襲うドクハラ治療の問題点が
ズバリ指摘されているのですが、
患者の性器写真を持ち歩く医師、
いたずらをする医師…
こうしたセクドクハラ医師をのさばらせる原因は
「医師と患者の主従関係」
「男医優位の医療システム」…
このふたつが女性に向けたドクハラを増長させたというのです。

この男性優位が生んだ医療システムについて、
とくに産科に絞って、
歴史的に追求している本が出ていますので
1冊紹介しておきましょう。
まえに「医師が患者をだますとき」(弓場隆・訳 草思社)
という本を紹介したことがありますが、
その著者のロバート・メンデルソンという
アメリカの小児科医です。
そもそも、「妊産婦を病人扱いした」
歴史がおかしいと告発しているのです。


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2003年9月20日(土)

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