元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第428回
改めて倉本四郎さんを偲ぶ

季節の変わり目になると、
同輩のガン患者で亡くなる人が増えて
本当に悲しい思いをします。
まえにも紹介した、
作家で書評家の倉本四郎さんを偲ぶ、
49日の供養を、故人が生前、懇意にしていた
葉山のある洒落たレトロな料亭でやりました。

奥さんと息子さん、妹さんご夫婦、
そして、いつも倉本さんに適切なアドバイスを送ってきた、
医療ジャーナリストの和田努さんご夫妻、
僕たち夫婦の8人という小さな集まりでしたが、
真中に倉本さんの席が設けられ、
好物の握り寿司が盛られました。
2時間の食事も、まるで倉本さんと喋っているような気分で、
とても素敵な偲ぶ会でした。

親友の死とは、本当に悲しい出来事ですけれど、
幻の倉本さんは確実に僕たちと会話をしていました。
「ガンはただの医学の問題じゃない。一人一人の
処世の哲学が問い掛けられているんだよなあ」と
口癖のように語っておりましたが、その言葉は、
いまなお、僕たち残された者にも語りかけられているわけです。

倉本さんの追悼については
9月22日の朝日新聞夕刊の「惜別」欄に大きく載りましたので、
読んでない人のために少し引用しておきます。
――「5月には遺作になるかも知れない」といって、
小説「招待」を仕上げた。
亡くなる直前にも夜中に突然、「紙と鉛筆を」。
新しい作品の出だしが書かれた3枚のメモが、
妻雅枝さんの手元に残った。
辞世の句に
ひぐらしや なお日をのこしつつ 店仕舞――

幻の倉本さんは、相変わらず、
タバコのピー缶を手元に抱えて、
デザートのコーヒーを上手そうに飲みながら、
あの人懐こい顔で、目を細めて笑っていました。
「フフフ、やはり、タバコもコーヒーも飲みすぎは
ガンによくないのよね…」
自らに反省をしつつ、
残された者への教訓の一言も忘れていないことでしょう。


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2003年10月29日(水)

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