元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第691回
「ただ明るく前向き」は無理です

7月のスローヘルス懇親会で行われた
帯津医師の講話は、
とてもとても大学病院のノルマ医師の口からは聞けない、
患者一人一人の人生の深奥に迫るものでした。

さて、「生命在脚下、希望在心中」――
自分を見つめて希望を見出すといわれても、
ガンと宣告されたり、
再発の恐怖にさいなまれた患者が、
そうそう単純に
「明るく前向きに」希望を見出せるものでしょうか?
帯津医師の講話がやさしいトーンで続きます

          *

自分を見つめて希望を見出すといっても、
なかなか難しいものですね。
いろいろな患者さんを診るうちに、
自然治癒力を高める、
日常のライフスタイルに希望をもたらすといっても、
明るく前向きは無理だと思いました。
人間は明るく前向きなものではなく、
やはり「哀しくて寂しいもの」だと結論したのです。

余談となりますが、仕事が終わると、
私は行きつけの蕎麦屋さんで、
ビール一本、越州という銘酒を冷やで2杯、
これが私のささやかな息抜き法なのですが、
蕎麦屋では、昼間から一人でお酒を飲んでいる人が多いですね。
漫画家の東海林さだおさんがエッセイで書いておりましたが、
「蕎麦屋で一人酒を飲む人は律儀な人が多い」そうです。
たしかに、一人酒を楽しんでいる方たちを観察していると、
それぞれの肩がみんな寂しげです。

私はいろいろなエッセイ集を読むのが好きですが、
人間は「悲しくてさびしいもの」ということについては、
たくさんの人生の達人が書いておられます。
たとえば、岩波書店の会長をしておられた小林勇さんが
「人は悲しき」というエッセイを書き、
また脚本家の山田太一さんが
「生きる悲しみ」という随想を書いておられます。
いい本です。

山田さんも、
「生きることには悲しみが付きまとうもの」とし、
水上勉さんの言葉を引用してこう結論付けています。
なぜ、人間はさびしいのか?
それは人の一生が『孤独な旅人』だからですと。


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