元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第782
「ガンはボケよりマシ!」の間違い

6年前の僕の闘病記『母はボケ、俺はガン』に対する
書評の話の続きです。
週刊朝日の書評氏は、
ガンを選ぶか? 痴呆を選ぶか?
闘病法の難易度から考えたら
「ボケよりガンのほうがマシ!」というのです。

う〜ん、僕は困りました。
たしかに母のボケ、そして寝たきり、
糞尿垂れ流し、深夜の徘徊・・・
介護の手の施しようのない、凄まじい生活ぶりに
ただただ呆然と立ちすくんでしまいました。
そればかりか、僕のようにガン病棟にノートパソコンを持ち込んで、
ガンから生き延びる手立てを講じる、
そうしたことも出来ない、なんとも情けない症状です。
人間の生きる尊厳を疑われるような行動を
ただただ繰り返しながら、
人生の終着駅にたどり着こうとする姿をみれば、
たしかに、書評氏が、
死ぬのなら「ガンの方がマシだ」と思うのでしょう。

しかし、これはまだ、足腰が元気な、
いわゆる健常者のちょっとロマンチックというか、
頭でっかちの論理なのですね。
ガンや痴呆に対する治療や処世、さらに考え方が、
幻想や誤解に満ちていると思いました。
ガンというと、
「手術で完治する」「抗ガン剤で完治する」
という大病院の医師の書いた本が
たくさん出版されているのですが、
反面、治療の失敗や術後治療の失敗で、
再発、転移、そして死に至る、
そうしたガン患者がぞろぞろ出る――
むしろ「ガンそのものではなく、
治療によるダメージで亡くなっていく患者が多い」のが
現実なのですね。
おまけに、そうした現実を自覚できないまま苦悶する、
患者や家族の闘病記や、
テレビドラマが涙と美談で好んで取り上げられますから、
ますます、ガンはドラマチックな「不治の病」として
マスコミが取り上げ、世間が誤解することとなるわけです。

とくに、著名な作家や有名タレントの「ガン」による
闘病と不運な最期ドラマは、
昔、多くの作家が「結核」に倒れても
筆を離さなかったという美談とオーバーラップして、
誤解・錯覚されているところがあります。
愛と死を見つめて苦痛と闘いながら絶命する・・・
こうした「美談の錯覚」「感動の迷信」から、
死に方なら「ボケよりガンのほうがマシだ」
いや「格好よく死ねる」と早合点する人も
でてきたのではないでしょうか?

しかし、僕の体験からしても
ガンは「昔の結核」とは全く違う病気です。
また死ぬならガンか? 痴呆か? と
単純に選べないところが、
ガンとボケの怖い所以なのです。
この二つの長寿病とは、
一人一人の人生そのものの決算法について、
じわりじわりと問いかけてくる、魔性を秘めた病気なのです。
やりきれない「生活習慣病」といったらよいでしょう。
さらに怖いのは、
40代、50代、60代を過ぎても、
暴飲暴食、贅沢放蕩の生活を改めないと、
「ガン」になって、「ボケ」にも襲われる
危険をはらんできたことでしょう。
「ボケよりガンはマシ!」
このロマンチックな?発想法は間違いなのです。


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2004年10月17日(日)

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