元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第784回
「母はボケ、俺はガン」はこんな話

ガンとボケを
絵空事の「死に方」の問題として考えるのではなく、
『生きている証し』として捉えよう――
という話をもう少し続けます。
ガンの患者さんを家族に持っておられる方、
痴呆症状のご両親を介護・看護されている方、
また僕のように
「母はボケ、俺はガン」の2世代倒病記を
体験してしまった方は、
ぜひ、読み進んでください。

ちなみに「母はボケ、俺はガン」の話は、
このコラムでも第358回から数回掲載したことがあります。
僕と母の2世代倒病記とは以下のようなものでした。

            *

ガンだけでなく、
親の痴呆も大抵の中年夫婦にとっては
初体験の家庭の一大事です。
わが生みの母親とはいえ、
オムツひとつ履かせるにしても
ひと1倍の体力と忍耐力がいります。

母の「徘徊」は病院内をさ迷うにしても、
自宅から近所をうろつくにしても、
ちょっと、明るさが漂っているのは救いでした。
「ドッコイ、ドッコイ、ドッコイなあ」と
鉄道唱歌の節回しで、大声で歌いながら、
ステッキ片手に歩いておりました。

母は10代のころからの純朴なクリスチャンで
「おまえなんかの助けはいらんよ。
 わたしには神様がついているから一人で何でも出来るからね」
と、いつも目をくりくりさせて笑う人でした。
昔から、強引なところがあるのですが、
じつに茶目っ気のある人なのです。
80歳直前までは手押し車を押して、
罹りつけの医院でもスーパーの買い物でも、
どっこい!どっこい!と
自らを励ましながら掛け声を上げて出掛けていたものでした。
その一人よがりというか、
明るい性格にはほっとするところがありました。


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2004年10月19日(火)

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