元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1148回
再び、土屋繁裕先生へ(1)

49歳で無念にも急逝された
勇気ある医師=土屋繁裕さんの病床に送り、
奥さんに枕元で読んでもらった
僕の手紙の続きです
これは、亡くなる3週間前のものです。

          *

土屋繁裕先生へ
たとえ、いま聴覚反応が弱ろうと、
僕たちの思いも、きっと、
土屋式のテレパシーで受信してくれていると思います。

ともかく、治療については、
大学病院だけでなく、
ご兄姉弟(きょうだい)の先生たちが
付いておられますから、
僕たちとしては万全のものと信頼していますが、
原田さんや逸見さんといろいろ話し合っても、
こちらでは専門的なことは、
よく分からないことが多く、
「こんなとき、土屋先生がそばにいたら、
 コレはこうだ、アレはこういうことだよ」と、
瞬時に症状や治療法の解説と知恵を授けてくれるのに・・・と、
また、いつもの先生の笑顔を思い出して、
ため息をついたりしているんですよ。

でも、いま、たとえベッドに寝ていても、
遠く離れていても、先生の心は、
僕たちスローヘルスの仲間たちと、
いつも一緒にいるんですね!
奥さんの広見さんにお渡ししたのですが
「鬼頭さんの父上が体験した奇跡の回復」
のメールを読んで貰って、
きっと、先生は「分かった、分かったよ」と、
いま心の奥で答えてくれていると思います。

鬼頭さんは、先生もご存知の
スローヘルスの仲間の河村季里さんの会社の人ですが、
河村さんも奇跡の回復を心から祈っています。
昨日、また、メールをくれました。

「どう考えても、
 さっさといってしまうようには思えません。
 土屋先生は、まえに足を骨折したときみたいに
 『いやあ、参りましたよ』とか言って、
 あの笑顔で出てくるような気がしてなりません。」
そうですよね。きっと、そうですよね。
先生! みんな、先生が大好きで、
影から先生を支えているんですよ。

また、昨日は、先生も
ご存知のスローヘルスの仲間、
虎ノ門病院の宮崎美由紀先生とも
電話で話しました。
宮崎さんは脳外科が専門ではありませんが、
「土屋先生のように明快にはいかないけれど」
といいながら、
症状や治療の一般論ですが、
丁寧に客観的に説明してくれました。

そして、宮崎先生のおっしゃるには、
いまは一番大事なとき。
土屋先生を信奉している皆の気持ちと快癒への祈りを、
そばに付き添っておられる奥様を通じて
「伝えていただくことでしょう」
というアドバイスを貰いました。
というわけで、
この手紙を広見さんに託したのです。

          *

長くなりますが、
さらに、この手紙の続きは明日、掲載します。

土屋先生の富山スローヘルス研究会での最後の講演
(8月20日、ウイング・ウイング高岡にて)

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2005年10月18日(火)

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