元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1149回
再び、土屋繁裕先生へ(2)

49歳で無念にも急逝された
勇気ある医師=土屋繁裕さんの病床に送り、
奥さんに枕元で読んでもらった
僕の手紙の続きです
これは、亡くなる3週間前のものです。

          *

土屋繁裕先生へ
先生、奥さんにこの手紙、
読んでもらって聞いてくださいね。
宮崎先生からも、知り合いの方で、
もう駄目だといわれた
敗血症の患者さんがおられるそうですが、
ご家族や友人たちの必死の祈りが通じて、
「まるで、苦難のときがウソのように」
奇跡的に復帰したケースがあるという、
そうした話も聞きしました。

先生、聞こえますよね!
あわてないでいいですから、
ゆっくりと起きてください。

ふと先生のことを思うと、
とても体が痛くなることがあるんです。
でも、これで、先生と痛みが分かち合うことが出来て、
少しでも先生の痛みが和らぐとすれば、
これに越したことはありません。

これからも奥さんや秘書の岡田さんを通じて、
僕たちからのメッセージを
送りますから聞いてください。
もちろん、テレパシーでも、
僕のパワーを送り続けます。
先生と、先生の仲間は、いつもつながっているのです!

              9月20日  関根 進

          *

そして、2週間後、血圧も正常に戻り、
尿の排泄も順調だというので、
東京の大学病院から、故郷・郡山の病院に転院。
ICUでさらなる手厚い治療が始まったのですが、
ほっとしたのもつかの間、
1週間後の10月8日午前10時、
残念無念にも、
「帰らぬ人」となってしまったのです。合掌。

「患者にやさしい医療=HBM治療」を目指して、
日本初の「セカンドオピニオン」専門の
ガン相談所=キャンサーフリートピアを開設して5年、
大病院から見放された患者さんに
温かい救いの手を差し伸べていたわけですが
その数は600人を超えておりました。

キャンサーフリートピアと
僕たちのスローヘルス研究会は、
お互いに「患者にやさしいネットワーク」を
広げる目標で歩んできた
兄弟のような組織でした。

もちろん、土屋医師は、
僕たちのスローヘルス研究会の中核メンバーであり、
創設当初、二人で語らって決めた、
スローヘルス研究会の活動の目標が3つあります。
(1)いのちにやさしい「ネットワーク」を作ろう
(2)いのちにやさしい「ライフライン」を作ろう
(3)いのちにやさしい「バトンタッチ」を作ろう

いま、遺された僕たちは、
とくに第3のいのちのバトンタッチ=、
「土屋医師の唱えたHBM医療の活動の継承」
を任されたのだと思います。

勇気ある医師「土屋繁裕」去って、
その存在の大きさが、
改めて、世間にも認識されていると思います。
また、HiQの読者の皆様からも、
土屋先生のご冥福を祈るたくさんのメールをいただきました。
有難うございました。

「赤ひげ」ならぬ「茶髪」の似合う人情派の医師でした
(キャンサーフリートピアの診察室にて)

スローヘルス研究会の「偲ぶ会」で送った追悼の寄せ書

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2005年10月19日(水)

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