元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1150回
“わが身をお陀仏”にされて

10月3日から「東京スポーツ」という
夕刊紙ではじめた
僕の日刊連載コラムの話の続きです
題して、
「スローヘルス最前線報告−ゆったり治療で生き残れ」
というタイトルです。

公称190万部のトップ夕刊紙ですし、
連載コラムの内容も、
一般のガン専門書や新聞、雑誌などには載っていない、
スローヘルスな患者の症例や
人間味に溢れる病院の情報を載せておりますので、
結構、読者からの問い合わせがあるそうです。

それについては、また改めて書きますが、
面白くて為になりますから、ついでがあれば、
ぜひ、あなたも読んでみてください。
ただし、HiQのコラムと違って、
毎週、月曜日〜金曜日の連載で、
土、日、祝日はお休みです。
この日刊連載を読みそこなった読者のために、
患者や家族のみなさんに、参考になりそうな部分を
また、抜粋して紹介しましょう。

さて、ガンと宣告されると、誰しもが
頭の中が真っ白になるほどショックを受けますが、
まわりの友人、知人たちも大慌てします。
それほど、ガンは「怖い不治の病」だと、
いまだに、ただただ妄信されているのです。
僕にも、笑うに笑えない、
「ガンの泣き笑い体験」がたくさんありました。

《第8回 ガンはあきらめない!「切らずに治る」こともある》
の章の冒頭に書いたエピソードもそのひとつです。

          *

「あなたは、すでにガンで亡くなったと
 思われていたのですよ。すみません」
開口一番、“わが身をお陀仏”にされて
面食らったことがあります。

昔、亡父が群馬県の前橋という町で、
10年ほど女学校を経営していたことがあるのですが、
その学校の100周年史の編纂のために、
父親の足跡を調べに東京までやって来た、
中年の教師の言葉がこれでした。

じつは、筆者は、7年前に食道ガンを患い、
「手術をしないで病院を逃げ出した」という、
ちょっと風変わりなガン闘病記の本
【注・「母はボケ、俺はガン」(日経BP社)】
を書いたことがあるので、
おそらく田舎町では、理事長の息子は、
よほど悪質なガンだったに違いない、
すぐに死んだようだと噂が流れていたらしいのです。
ことほどさようで、ガンには「宣告即=死」という
不治のイメージがつきまといます。

          *

たしかに、ガンと聞いて、有難いことに、
「きっとよくなるよ」「頑張れ」と
励ましてくれる見舞い客がたくさんきてくれました。
しかし、その裏では
「可哀想にあいつも、とうとうお陀仏か!」
という噂が巡り巡って
僕の耳元にはよく流れてきたのも事実です。
こんな噂には、慣れっこにはなっていたのですが、
遠く離れ田舎町では、ほんとうに7年間、
「仏様」として、
わが身があの世に送られていたようで、
この話を聞いたとき、
僕は大笑いしながらも、
不覚にも涙を流してしまいました。


←前回記事へ

2005年10月20日(木)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ