元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1495回
94歳・松下幸之助さんの「大楽観」

いま発売中の「いのちの手帖」第2号の
「こころに残る人々」の特集で、
松下幸之助さんの側近で、前の廣済堂出版社長である
中博さんが寄稿してくれた
「94歳まで進化し続けた、松下幸之助の生命エネルギー」と
題するエッセイの話の続きです。

経営の神様といわれた松下幸之助さんこそ、
「40歳からの魂進化論」の具現者といわれる人です・・・
と中さんは書いておられますので、
ビジネスサクセスストーリーとしてだけではなく、
これからの長寿時代のスローヘルスないのちの処世学の手本として
読んでみることをお勧めします。
もう少し、そのエッセイのさわりを紹介しておきましょう。

             *

この話の中で私が強調しているのは、
松下さんは「運命は変化するものであり、
自ら創造するべきものである」
という信念のもと、94才の人生を終える、
ギリギリまで自らを進化しつづけたということです。

松下さんは15才の頃には、自分の親、兄弟親族全てを失い、
まさに天涯孤独の境遇に陥ります。
さらに生来身体が弱く、肺結核まで患います。
当時結核は今のガン以上に厳しい病で、
本人も自分はそう長くないのではと感じていたようです。
そんな折も折、仕事の使いで乗った渡し船から
冬の最中の川に転落、九死に一生という場面に遭遇します。
この事故から一転、松下さんはその運命観を変え、
人生の展望を大変化させるのです。
大楽観の哲学の誕生です。
不遇を不遇ととらえない心から生まれる人生観です。

「神様が生かしてくれたんや、
これからはもうけものの人生。思いっ切り生きなあかん」
これが松下さんの真骨頂です。

ここから「素直な心」に根ざす、
楽観的哲学が本格的になっていったのではないかと思われます、
後年、松下さんの主治医はこう言いました。
「松下さんは医学的見地からは、
20才で寿命はついていたと思います。
しかし本当の寿命は松下さん自身が造りあげたようなものです」
「晩年は、高く成層圏に昇った宇宙グライダーのようなもので、
エネルギーなしで悠然と航行する仙人状態そのものです」
まさに生きること、生命そのものを楽しむことまでも
名人であったのが松下さんでした。
その結果、20才で終わるはずの人生が、
94才の大往生をとげるまでイキイキとした人生を
謳歌することができたのです。

松下さんの長寿の秘訣は、独特の大楽観の哲学と
終生にわたるたえざる進化にあると思います。
松下さんが事業家として本格的にスタートするのは
なんと五十五才すぎてからなんです。
敗戦により一時、経済界から追放になり、
税金滞納王にまでなってしまい
50才の時には散々たる状態に陥ります。
しかし、55才の時、会社再建に向って、
悲観どころか自ら寿命を超える200年計画を立て
天命を得たかのように喜々とした姿で立上るのです。(以下略)

            *

どうです? 松下幸之助さんが経営の神様として
本格的に開花したのは、55歳からだといいますから、
身体的には衰えに向かっても、
知性、精神性、霊性にぐんぐん磨きがかかり、
まさに中年を過ぎてから
驚異的に脳の活動が進化していったようなのです。
松下さんには常人を超える気質体質があったのでしょうが、
40代、50代、60代こそ、
ただ身体の老化や病気を嘆くのではなく、
脳の活動を活発化させて、
精神性、霊性を磨き、この長い人生に、少しでも
「より良い時間を長くもたらす」ように、心して
工夫を凝らすべきだということを、教えてくれています。


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2006年9月30日(土)

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