元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1496回
91歳・渋沢栄一さんの「忠恕」

前回、松下幸之助さんが経営の神様として
本格的に開花したのは、55歳からだ――、
まさに、身体的には衰えに向かっても、
知性、精神性、霊性にぐんぐん磨きがかかり、
まさに中年を過ぎてから脳の活動が驚異的に進化した――、
40代、50代、60代こそ、ただ身体の老化や病気を嘆くのではなく、
精神性、霊性を磨いて、この長い人生に、少しでも
「より良い時間を長くもたらす」ように
工夫を凝らすべき世代だ――、
として、いま発売中の「いのちの手帖」に寄稿してくれた
元松下幸之助さんの側近・中博さんのエッセイを紹介しました。

その号の同じ「忘れえぬ人々」という特集に、
もうひとり、年齢を重ねると共に、
精神的にもスピリッツ的にも、
大いに“脳が進化”したと思われる、
スケールの大きな実業家・渋沢栄一さんの秘話について、
「執筆のつれづれに父を想い、渋沢栄一を思う」と題して、
寄稿してくれたのはノンフィクション作家の田澤卓也さんです。
田澤さんは、ジャーナリズムの世界では、僕の後輩に当たりますが、
こまめに題材の深奥を足で歩いて調べ上げ、
また、じつに読みやすい構成で、
数奇で魅力的な人物の評伝を書くことを得意とする優秀な作家です。
これまでに「虚人 寺山修司伝」
「百名山の人―深田久弥伝」
「無用の達人―歌人山崎方代伝」といった秀作をものにし、
いままた「公益を実践した実業界の巨人〜渋沢栄一を歩く」
(小学館)という
新刊を上梓したのですが、
それに因んで、91歳の人生を全うした、
渋沢栄一の生命エネルギーの所以を
解き明かしてくれたことになります。

ちなみに、渋沢栄一(1840〜1931)は、
第一国立銀行ほか500社にのぼる近代企業の創設者として
知られています。日本資本主義の父とも呼ばれ、
その格調高い経営哲学「論語とそろばん」は、あまりにも有名です。
しかし、天保から昭和まで11の元号に及ぶ激動の時代を生き抜き、
昭和6年に91歳という長寿で没したことのほかに、
学校(東京女学館、日本女子大等)の創設、
医療・社会公共事業(日本赤十字社、東京都老人医療センター等)
の支援に尽力した業績はあまり知られていません。

91年間、その長い激動の人生を過ごし、
晩年には社会福祉に尽力を尽くす、
渋沢栄一という人の処世の秘密を
「忠恕」(まごころと思いやり)というキーワードで、
田澤さんは解き明かしてくれました。

「いのちの手帖」第2号の
「執筆のつれづれに父を想い、渋沢栄一を思う」という
エッセイでは、71歳、大腸ガンで亡くなられた
父上の思い出とダブらせながら、
渋沢栄一の「忠恕」の発想をたどってくれたわけです。

            *

先日、父の夢を見ました。
父は7年まえに大腸ガンで亡くなっています。71でした。
夢のなかで、まだ4、50代と思える父と私は、
戦後の焼け跡の屋台のような店で酒を飲んでいました。
ちょうど中座していた父がもどってきたので、
私が「トイレはどっち?」と尋ねると、
「あっちだ。けっこう遠いよ」と道のむこうを指すのです。

そこで私は父の指す方向に歩いていったのですが、
それが、まるで夢のあいだじゅう歩いているような遠さなのです。
ようやくたどりつき、小用をすませ、
また延々と歩いて帰ってくると、
道端の電柱のそばに立っていた父が、
こちらを振りむき、「おまえはどこまでいってきたんだ」と
ズボンのチャックをあげながらアハハと笑っているのです。
そこで私は目がさめました。(略)


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2006年10月1日(日)

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