元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1497回
続・91歳・渋沢栄一さんの「忠恕」

91年間、その長い激動の人生を過ごし、
晩年には社会福祉に尽力を尽くす、
近代企業の父・渋沢栄一という人の処世の秘密を
「忠恕」(まごころと思いやり)という言葉で、
いま発売中の「いのちの手帖」第2号に、
ノンフィクション作家の田澤拓也さんが
寄稿してくれた話の続きです。

「随想 こころに残る人々
執筆のつれづれに、
父を想い、渋沢栄一を思う 田澤拓也」の
もう少し、そのさわりの続きを紹介しておきましょう。

            *

久しぶりに父の夢を見たのは、この1年間、
「日本資本主義の父」ともいわれる
渋沢栄一(1840〜1931年)の取材をしてきたせいだと思います。
ゆかりの地を訪ねて歩き、資料を読みうけるうち、
なぜだか私には父のことが思いだされてしかたありませんでした。
といって父は実業家だったわけでも
大富豪だったわけでもないのですが。(略)

渋沢栄一を取材していて、
なんでそんな男を思い出すのだといわれればタジタジなのですが、
あれは私が中学一年の夏だったと思います。
夏休みの宿題か何かで机の上に硯と半紙を広げていた私は、
父が、小学生のときに何度か賞をもらったことがあると
自慢していたのを思いだし、
「一枚書いてみせてよ」と筆を渡したのです。
すると父は、ためらいもせず、筆をとると、
すらすらと「忠恕」(ちゅうじょ)と書いたのです。
平たくいえば「まごころと思いやり」といった意味です。

そのとき父は何か説明したわけでもなかったし、
当時、私はその意味も読み方も知りませんでした。
ただ、その出来事を記憶しているのは、
何ということもなくその書が長く実家の2階の一室の
机のガラスのしたにはさまれていたからです。

それから長い年月がすぎて、
今回、私はこの
「忠恕」という言葉に出合ってビックリしたのです。
渋沢は、自らの経営や行動の指針として、
孔子の『論語』を愛読していました。
とくに、そのなかでも「論語の千言万語も、
つまるところ忠恕の二字の外に出でぬ」と
述べているほどのホレこみようなのです。(以下略)

               *

僕の勝手な感想ですが、
「忠恕」とは、古臭いキーワードと思う人も多いでしょうが、
孔子の「論語」の言葉で、弟子の會子(そうし)が、
「先生は終始一貫して変わらぬ道を歩いてきた。
その道とは忠恕である。」と語る一節がありますから、
「忠」=まごころ、
「恕」=おもいやりは日本人の気質にあった発想でしょう。
ともすれば軍国化する激動の近代日本の中で、
公私に、この繁栄と公益の信念を貫き、
とくに精神性、霊性の高まる晩年に、
福祉、教育といったゆったりたとした事業を全うしたことは、
「忠恕」(まごころと思いやり)の発想故だったと思えるわけです。
いま針路を見失った日本では、新たなる国家精神戦略が問われ、
昔とは姿を変えた「忠孝」思想まで
復活しかねない時勢となっています。
しかし、やはり問われるべきは、
機械的で作為的な精神エネルギーの仕組みではなく、
この老若男女相和すべき長寿時代だからこそ、
見直さるべきは、自然な発想に根ざした
「忠恕」に近い発想ではないでしょうか?
ちなみに「忠孝」とは国によく仕え、
親を大事にして子としての義を尽くす
・・・という意味合いです。
さて、巨人・渋沢栄一の
「忠恕」の人生軌跡について詳しく知りたい人は、
田澤さんの新著「渋沢栄一を歩く」(小学館)
を読んでみてください。
ちなみに、「いのちの手帖」創刊号にも寄稿していただいた、
鮫島純子さんは渋沢栄一さんのお孫さんです。
巻末に、鮫島さんが
「祖父・栄一の葬儀の日」という一文を書いておられます。


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2006年10月2日(月)

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