元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1512回
食道ガン「切るべきか切らざるべきか」

僕が、なぜガンを切らずに治せたのか?
正確に言えば、8年間、なぜ、ガンと共生できたのか?
という話から、
いかに、ガンの手術や抗ガン剤治療は「過酷」なものであるか?
ということについても、書いてきました。

ま、一度、抗ガン剤の点滴を
大量に受けたことのある患者さんなら、
だれでもわかっていることですが、
その副作用や疼痛は言語に絶する苦しみを伴うものです。
ちょっと過激な発言となりますが、ガン治療を志す医師なら、
全員が、一度、抗ガン剤を自らの体で試してみてから、
患者には勧めていただきたいものだと、
本気になって、僕は思っています。

それはともあれ、もっとも過酷な手術である
食道ガン治療の話を、もう少し続けましょう。
なにせ、この飽飲飽食とストレス過多の時代には、
食道を含め、喉から胃腸にわたる
消化器系のガンに罹る患者が圧倒的に多いからです。
脅かすわけではありませんが、
「気がつけばあなたもガン」という危険性は
老若男女を問わず、抱えております。

もちろん、僕の友人に中には、
過酷な食道ガンの手術を受け、
予後の嚥下困難やさまざまな後遺症にも打ち克って、
延命しているツワモノもおります。
しかし、大半が、残念なことに、
リンパどころか、アゴや喉、はたまた肺に転移して
亡くなったケースとなります。。
前にも書きましたが、時期も同じ8年前、
僕と同じ大学病院の主治医に食道ガンを執刀された
友人は、術後、喉やアゴに転移して、
再手術どころか、4度の手術を繰り返し、
4年後に、体をボロボロにして亡くなりました。
食道ガンは「切るべきか」「切らざるべきか」・・・
この岐路を決断するのは、一つの人生の賭けですが、
僕の場合は、手術の怖さ、抗ガン剤の過酷さを
身を持って体感したことになります。

やはり、同じころ、食道ガンを発見された、
僕と同じ年頃の名古屋の女性がおられまして、
介護に当たっていたお嬢さんが、たまたま、
拙著「母はボケ、俺はガン」という闘病記を読んで、
大学病院の治療のほかに、
天仙液やSOD、さらに食事療法を取り入れたのですが、
どうしても手術を受ける――、ということになりました。
しかし、術後、肺に転移して残念にも亡くなられたのです。

とても、他人事とは思えず、
このお嬢さんとは母上が亡くなってからも、
メール交信を続けたり、
一度、スローヘルスの会にも来ていただきました。
海外旅行の好きな母上の遺言に従って、
ガンジス川のほとりで散骨されたり、
悲しみを何とか乗り越えようとしておられたのですが、
本当に人間のいのちや因縁とは不思議なものですね。
母上の生まれ変わりとも思われる赤ちゃんを授かりました。

旦那さんの仕事の都合で、いまはスイスで過ごされているので、
この春、「いのちの手帖」にエッセイを頼んだところ、
「奇縁ですね、今日は母の命日なのです。
ぜひ書かせていただきます」と返信が来ました。
その愛情に満ちた「いのちの絆」を綴ったものが、
「いのちの手帖」第2号に掲載されている、
このお嬢さん、佐々木舞さんのエッセイです。

題して『食道ガンで昇天した母・・・
でも、いのちは繋がっているのです』
「いのちの大切さ」
「生死を越えた家族の絆」が切々と綴られております。
患者や家族のみなさんのみならず、
とくに「治療を機械修理のようにしか考えていない」
医療関係者にも、ぜひ読んでおいて貰いたいと思って、
掲載させていただきました。


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2006年10月17日(火)

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