元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1513回
「いのちは繋がっているのです」

『食道ガンで昇天した母・・・でも、
いのちは繋がっているのです』
と題して、「いのちの手帖」第2号に寄稿していただいた、
佐々木舞さんのエッセイの話の続きです。
「いのちの大切さ」
「生死を越えた家族の絆」が切々と綴られております。
ガンの中でも、最も難しいといわれる食道ガンの手術のあと、
残念にも母上は他界するのですが、
その後も母子の魂の絆を愛情豊かに育んでいく様子が伝わる
とても勇気付けられる文章です。

            *

●特集2 いま家族でときめいて・・・
食道ガンで昇天した母・・・、でも
「いのちは繋がっているのです」 佐々木舞

私の母は1999年8月、63歳のとき「食道ガン」と宣告されました。
その時、私は結婚して1年目。
実家の名古屋を離れ、東京に暮らし、
仕事のため浜松市に週に2日通っていました。
最初、宣告されたときはさほど深刻に思わず
「治るにちがいない」と思っていました。
しかしながら詳しい検査の結果
「抗ガン剤使用後、ガン摘出手術、
その後、放射線治療」と聞いたとき、
私の胸はムカムカし
「何かしなくては、でも何を?」と途方にくれました。

その時、浜松にいた私は仕事帰り、
本屋さんでガン関連の本を2冊買いました。
そしてホテルで本を読み
私の胸のムカムカはもっと激しくなりました。
「食道癌、3年後生存率、30%」。
その夜は眠れませんでした。
翌朝、部屋に運ばれた新聞の新刊書籍広告の欄に
関根進さんの著書「母はぼけ、俺はガン」が紹介されていました。
「これだ!」と走って本屋さんに行き、
仕事後の新幹線の中で読みました。
「これで私の母も助かる!!」と確信。
なぜなら関根さんの症状と病院から提供された治療法は
全く一緒だったからです。(略)
はたして母のガンは抗ガン剤治療により小さくなりはじめ、
主治医の先生も大喜び。
「頑張って続けましょう!」と言いに来ました。
私も心の中で「ママ、頑張って!
もしかしたら手術しなくてもよくなるかも!」と願っていました。
しかしながら6週間の予定だった抗ガン剤治療を2週間ほどで
「もう嫌」と母が拒否。
「薬よりも切り取ってしまいたい」と言いました。(略)
その夜、私は神さまに言いました。
「神様、私の誕生日プレゼントは母の命がいい。
どうぞ取らないで」と。

           *

しかし、術後は思わしくなく、
主治医から肺転移と余命幾ばくもなし・・・と宣告されたのです。
「そのときの母の気持ちを思うと
どう反応していいのかわかりませんでした。
悲しみや苦しみ、怒りやあきらめ・・などの感情が入り交ざって、
しかもそれを長い間ずっと閉じ込めていたせいか涙がでないのです」
と、佐々木さんはエッセイの中で回想しておられます。

僕は、同じ病を闘った“戦友”の無念を思い、
そして介護を続けたお嬢さんの悲しみ思うと、いまだもって
いたたまれない気持ちでいっぱいになります。
しかし、残された佐々木舞さんに、母上は
「いのちのはかなさ」だけではなく、「いのちの深い絆」という
希望のメッセージも残していかれたようなのです。
女の赤ちゃんが、まるで、
母上の生まれ変わりのように恵まれたのです。

「母は天に還りましたが、
その後、まもなく天から新しい魂(娘)が
私のもとに降りてきました。
そこに「いのちの繋がり」を感じます(略)」と、
佐々木さんは最後に書いておられます。

“人間は機械とは違います。
いのちは親から子へ、子から孫へ、連綿と繋がっているのですよ“
佐々木さんの母上は、僕たちにも、
こうした「大いなるいのち」のメッセージを
伝えてくれたように思えてなりません。
僕は、このエッセイを感動して読ませていただいたわけです。


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2006年10月18日(水)

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