元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1690回
ガン病棟脱走から9年目

櫻の季節が過ぎると、食道ガンの惨い手術を断って、
大学病院を”脱走“したときのことを思い出します。
幸運にも、この春で、9回目の櫻を見ることができました。
延命9年目を迎えたわけです。

ちなみに、近代医学の粋を集めたといわれる大病院にすがり、
名医といわれる教授に頼れば「ガンは完治」できる、
「名教授は神様だ」と、
盛んにテレビ番組や雑誌記事が喧伝していますから、
「おまえは、なんという無謀な治療選択をしたのだ!」
と呆れられたことも事実です。
同じガン病棟で、何度も手術をうけた先輩患者からは
「ハハハ、君は
“大学病院ガン学部中退“っていうところだな」と、
意気地なさをさげすまれ、
「可哀想に!あいつもとうとうお陀仏か!」と、
昔の仕事仲間からはしきりと囁かれていたそうです。

ところが、周囲の“期待”や“思惑”に反して、
こうして「ガンを切らず」に、9回も桜を見て、図々しくも、
生き延びてしまったわけですから、僕を「お陀仏」呼ばわりした、
昔の仲間とは音信が不通になったことはいうまでもありません。
それは、それぞれの考え方ですからどうでもいいことですが、
たしかなことは、人間のいのちとは、
近代西洋医学でもつかめないほど、
奥の奥の深い、ミステリアスで崇高なものだということです。

ガンから助かるか? 助からないか?は、
最新の病院施設や主治医の執刀法の技量によると考えがちです。
しかし、ガン患者とは、人間とは、「なんとしても生きたい」
「納得したいのちを掴みたい」と、
自らの意志力を鮮明に表示すると、不思議と
「危機を好機」に変えることが出来る、
じつにスピリチャルな生命体なのだ――、
ということを体感した9年でもありました。
大切なのは「運と縁」です。

こんな話を書くと、あいつは少し、
頭もおかしくなったに違いないと思う人もいるでしょうが、
ま、いのちをそう神秘的に考えないとしても、
ガンのような、体だけでなく心も魂も蝕む難病とは、
巷間、信じられているように「切る」「叩く」「焼く」といった、
人間を機械修理のように扱う、
短絡的な近代医学では御しきれない、
その治療法に限界が来ている――、これは確かでしょう。

ガンという複雑難病から助かる近道は、
ガン病棟の最新医療機器や化学劇薬の中にあるのではなく、
患者自らの「なんとしても生き延びるぞ」という、
勇気と希望の精神パワー、
いや、心魂のエネルギーの中にあるということです。
「メスや抗ガン劇薬」は、自らの体どころか、
心も魂も傷つける魔物であると、
僕の心身全体が拒否したわけです。

物事に「たら」「ねば」はありませんが、
もしあの時、主治医のいいなりになって、
惨い食道ガンの手術を受けていたら、
いまの僕は、この世に存在しないと思っています。
肋骨を切り開いて、胸、腹、喉を”3枚おろし“に切り刻む、
食道ガンの手術には、いまだに3〜5%の失敗があり、
10時間以上かけて手術が終わっても、
100人のうち、80人が合併症による再発転移で、
いのちを落しているからです。
何人もの同輩が、
手術と抗ガン劇薬で悶絶死するのを見てきました。

それは「きみの特殊ケースだよ」、
と片付けられてしまえばそれまでですが、
僕自身が「患者は機械にあらず」「近代西洋医学に限界あり」を
証明したひとつの生命体だということも確かなことでしょう。

繰り返します。
ガン患者は「壊れた機械」ではありません。
いのちを育むことを平等に授かった「血も涙も通った人間」です。
こんなわかりきったことが、この100年間、
近代医療の美名の下に無視され、
ただ「切れば完治する」「叩けば完治する」
「焼けば完治する」と、医学界はもちろん、マスメディア界も
いまだに喧伝していることは、
患者としては、どうしても容認できない話なのです。
おそらく、徐々にですが、「これはおかしいぞ!」と、
300万人のガン患者が気づき始めたと、僕は思っているわけです。
これからのガン治療は
“臓器レベル”から“人間レベル”に上げるべきなのです。


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2007年4月13日(金)

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