元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1702回
続・この世は愛の練習場

「いのちの手帖」の最高顧問である、
帯津良一博士も「いのちの手帖」第3号の巻頭言――、
「死んでも自分はある。死後こそ本当の生なのだ。
この世はそのための助走路に過ぎない」と紹介に続いて、
「いのちの手帖」創刊号で、
「希望を未来に 最期の迎え方」という随想を
書いていただいたエッセイスト・鮫島純子さんによる、
「この世は愛の練習場」だというエッセイについて紹介しました。
これは、数年前、「青渕」という雑誌に掲載されたものです。

ただ身体的限界を怖れるのではなく、
死後の世界はある、この世は自らの魂のレベルを高めるための
「助走路」だ、「愛の練習場」だと考え付いた時、
再び、病める者、悩める者が、、心身の養生の大切さを感受し、
日々の感動の回復力、自然治癒力を
呼び起こすことができるということでしょう。
これぞ「攻めの養生法」だという、
素晴らしいいのちのキーワードだと、僕は思っていますので、
そのさわりを抜粋紹介します。

        *
この世は愛の練習場      鮫島純子
◆八十歳になって実感すること

人生というのは要するに愛の練習場、
広い宇宙に目にみえない
心のエネルギー波動だけになって還るとき、
この世を汚してしまったこの肉体という器は脱ぎ捨てて、
焼いて始末してもらえても自分で習慣づけた想いの癖は
魂という波動となって次元の違う磁場まで持ち越され、
次なるステップの練習が永遠に続くと教えて頂いたのは、
かれこれ四十年前のことです。

年を重ね、伴侶を見送り、人生の終わりを意識してくると、
それを実感として想うようになりました。
自分の想念 波動が愛のひびきとして
光り輝かせられるようになるまで、
繰り返しこの地球という星の上で
愛の練習をするのが人生だと思い当たるこのごろです。

「自分の人生は一体何だったのだろう!」
というため息を聞くことがあります。
前の人生でやり足りなかった、
或は更なるステップアップの愛の練習だ、
と早くから気が付く方が、腹が座り、
ストレスにならないで乗り越えられます。

「結婚」というのは、それぞれ違った環境に育った男女が
「愛さえあれば」と一つ屋根の下に住んで、
やがて初めほどの熱が冷えた頃、
相手の立場や心境を理解しようと歩み寄る練習から始ります。
そして、相手の中に尊敬することを
できるだけ多く見つける努力をしたり、
自分を見つめて反省したり、相手に認めてもらえるよう
思いやりを深める努力をしたりして
日常茶飯事の中で無意識に練習していくうちに、
なくてはならない愛が育っていくのが
常識的な夫婦の成長過程といえましょう。
利害関係も共通になっていく中で
トレーニングを繰り返し、やがて無償の愛を感じあえる
間柄になって卒業するわけです。(以下略)

         *

どうでしょうか? あなたの心魂のエネルギーが共鳴しませんか?
鮫島さんの「この世は愛の練習場」という人生観とは
帯津先生の発想にも近い、悩める者、病める者に、
勇気と希望をもたらす、
人生の先輩がたどりついた「命と愛の名言」でしょう。
ぜひ、あなたの座右の金言集の一つとして
メモして置いてください。
なお、ご存知の方も多いと思いますが、
明治の実業家で篤志家の渋沢栄一さんのお孫さんで、
このエッセイが掲載された「青渕」という雑誌は、
渋沢栄一さんの偉業を顕彰して、半世紀以上前から
発刊されている会員雑誌で
市販はされていいませんので念のため。


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2007年4月25日(水)

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