元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1754回
続「関根さん、生きていたのですね」

最近、僕のところに「安心」1 という健康雑誌が
定期的に送られてくるようになった――、
「いやー、関根さん、お元気で生きておられたのですね」
と、8年ぶりに「安心」の編集長・原武司さんと、
パーティで会ったのがキッカケだった――という話の続きです。

原さんは「《介護――私の場合》
母はまだらボケ、自分は食道ガンの二世代闘病で見えてきたもの」
という、僕のガン発病と同じ時期、
当時83歳の母が、いまでいう認知症、
いわゆる、まだらボケ症状になり、
わが家が「ガンとボケ」の2世代闘病ならぬ、
「2世代倒病」の危機に瀕したという話を、
温かい筆致でまとめてくれた編集担当者でした。

懐かしいと思うと同時に、
生きていることを覚えていてくれた人がいて
とても嬉しい思いがしましたが、
ちなみに、そのときの「安心」1999年11月号に
掲載された記事の見出しは以下のようなものでした。
●病院を追い出されたまだらボケの母
●徘徊に糞尿まみれの生活
●“老々介護”に必要な家族の介護
「母はボケ、俺はガン」の2世代闘病は、
まさに悲惨ではありましたが
母が生来、楽天的な性格であったのが救いでした。
ちょっとユーモアのあるガン息子の
「老々介護」の闘病記となったわけですが、
その内容の一部はこんなものでした。

「(母は)天性のいたずら好きときているため、
意表をつくような事件が毎日起こるのです。
私が二階でパソコンを叩いている間、
母は、階下で枕や杖を相手に、七色に変わる声を使い分けて、
一人芝居をよく演じていたものでした。
でも「おばあちゃんは体が悪いから、遠くへは行きません」
なんて大声で話すのを聞いて安心していると、
いつの間にか家の外を徘徊し始め、
『お宅のおばあちゃんが救急車で運ばれていきましたよ』と、
近所の人が飛び込んでくるのです。
これでは、こちらのイライラは高まるばかりです。
しかも、季節が寒さを増すころから、
徘徊に糞尿騒動が加わって、ストレスは頂点に達しました(略)」
「幸い抗ガン剤と放射線治療のおかげか、
妻や仲間が持ち寄ってくれた生薬や民間療法が功を奏してか、
私の食道ガンは奇跡的に消え、
いまのところ小康状態を保っているので
妻ともども母親の介護に復帰することができました(略)」

ひょっとすると、原編集長は、僕のガンだけでなく、
母の闘病ぶりに好感を抱いてくれたのかも知れません。

母は88歳の時、眠る如くに大往生しましたが、あれから、8年、
僕の方は、心やさしい医師や友人たちに恵まれて
幸運にも延命しております。

さて、その雑誌「安心」の最新7月号には、
僕の長い闘病の知恵=スローヘルス(温和療法)を総集した
近刊「ガン延命学新書」についての書評が掲載されました。
「人間が本来持っている自然治癒力を引き出せばガンとも闘える」
という評価で、この本を推奨してくれています。嬉しい限りです。
これも天国でわが息子を見守ってくれている
ユーモラスな母がもたらしてくれた奇運奇縁なのかもしれません。
しぶとく長生きすると、人生って、思わぬ「運や縁」に恵まれて、
面白い体験や貴重な知恵を得ることができるものですね。
「知識と知恵」「運と縁」を活用して、
日々、少しでも長く良い時間を過ごすように心すれば、
まだまだトキメクことがたくさんおこるものだと思いました。

この8年間のガン闘病――、僕にとって長くて短い日々でした。
ともあれ、ガンのような難病に遭遇しても、あきらめは禁物です。
日々の心のトキメキが大切なのです。
「希望こそ良薬 あきらめは毒薬」――、これは間違いありません。

1 http://www.makino-g.jp/anshin/index.html


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2007年6月16日(土)

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