元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1773回
「欝病」で歩けない! 廃人になる?

「いのちの手帖」第3号に掲載された、
ジャーナリストの同輩で、
「女性自身」とか「微笑」といった華々しい女性雑誌の編集や
編集長をされてきた、中川善雄さんによる、
●特集1・病院で聞けないホントの話!
1日10メートルの歩行、1日1ミリの開脚!
わが「ウツ病」脱出記・・・・    
という重症の鬱病克服記の続きです。

              *

3週間の入院から家に戻った日、
今のソファーに呆然と座っていた私に女房が
「歌を歌ってみたら」というので歌おうとしたのですが、
声が出ません。
歌うという指令が脳から喉に伝わらない状態でした。
そしてその晩、不安発作がピークに達したので、
叔父に往診を頼みました。
やって来た叔父がかなり強い安定剤を注射したようです
私は電気に打たれたような衝撃を受け、
「このまま死ぬな」と思いました。

そして翌朝から閉尿、まったく尿が出なくなりました。
尿毒が体中に回って死ぬのではないかという恐怖感、
往診の医者に導尿してもらって、
尿が体外に出た時の「救われ感」は忘れ難いものです。
しかしそれから以後の「排尿困難」との闘いは
長く苦しいものでした。
小用なのに20分もトイレで格闘、
少し出るのですがクタクタになります。

それだけでなく、目は見えないから本も読めない、
聴覚異常で音楽も聴けない、
味覚もないので食べるのが辛い、
眠れない、そして歩けない。
五重苦、六重苦で生き物としての機能がすべて奪われ、
ただ呆然とすごすしかない“赤ん坊以前”の日々。

「このままでは廃人になる、なんとかしなければ」――。
そこで始めたのが、
とにかく外に出て歩いて見ることでした。
倒れるかもしれないという不安を抱きながら、
家のまわりを女房に見守ってもらいながら歩く。
最初は10メートル、翌日は15メートル、遅々としながら、
少しずつ距離を伸ばしていきました。
どのくらいの時間がかかったか憶えていませんが、

やがて女房の見守りなしで、
家の近所を一周できるようになりました。
不安と緊張も薄らぎ、
1キロ先の郵便局まで一人で行けるようになり、
それは日課になりました。

歩くことの難しさ、歩くことの大切さを、
一歩一歩、大地を踏みしめながら感じていました。
これまでの「歩かない生活」の祟りがきたのだと思いました。
誰にでも出来る、
簡単そうにみえる「歩くこと」が病気からの脱出の第一歩でした。
そして第2歩は「真向法」(まっこうほう)との出会いです。
私の療養中に友人が長井洞(はるか)先生の「真向法」
という本を送ってくれたのです。

        *

まさに中国の故事の「久病良医」という格言ではありませんが、
長患いをした患者こそ優れた医者である――、
を奥さんともども実践し、一歩一歩、鬱病という凶々しい
慢性難病に立ち向かったわけです。


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2007年7月5日(木)

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