元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1841回
「骨髄移植後1年が無事に過ぎました」

白血病の移植手術を克服して、
快癒の道を歩むばかりか、新しい仕事にも活動を開始した、
日本CI協会元専務理事の花井陽光さんの闘病記の話の続きです。

花井さんには創刊号以来、
「いのちの手帖」にも毎号、闘病と回復の様子を
同時進行で寄稿していただいてきたわけです。

●「いのちの手帖」創刊号・闘病記 ガンはあきらめない
「運命を変えた白血病――化学療法と自然療法の狭間で」
●「いのちの手帖」第2号・闘病記 明日を、もっとイキイキと
「運命を変えた白血病(2) 再発宣告、そして温かい支え」  
●「いのちの手帖」第3号・闘病記 ガンに教えられたこと
「運命を変えた白血病(3)移植手術、
そして白血球ゼロを乗り越えて」

もちろん、いま発売中の「いのちの手帖」第4号にも
●一歩また一歩、ガンと共に歩く・・・
「運命を変えた白血病(4)
骨髄移植後1年が無事に過ぎました」と題した
闘病エッセイを送ってきてくれました。

今回は、難しい白血病移植手術から
1年を経過した報告だけでなく、
入院中から構想を温めていた、
新しい仕事=地球環境運動の執筆活動と
「NPO法人ついのすみか研究会」
の立ち上げの様子も報告されていて、
ガン患者のみならず、多くの難病患者や家族のみなさんが
とても勇気付けられる内容ようです。

「さて、岡崎市に居を構えた昨年11月、
共著となった「このままだと地球はあと10年で終わる」(洋泉社)の
執筆依頼がありました。
調べれば調べるほど現在が
環境の激変期であることが明瞭になってきました。
そしてこの本の発売と並行するように
異常気象現実のものとなり今も継続しています。
50代終盤となり、
見知らぬ土地で生活を始めることになりました。(略)
そして、その考えを具現化するために
地元の方にも協力していただき
「NPO法人ついのすみか研究会」を設立することにしたのです。
死の淵を彷徨い、多くの方に助けられたことに報いるために、
残された寿命は地元に還元することが使命のように考えます」

どうでしょうか? 素晴らしい闘病エッセイですね。
その後も、花井さんから元気なメールが度々入り、
執筆活動も雑誌に単行本に忙しくなってきたそうです。
「関根さん 暑いですね。体調はいかがですか。
岡崎は東京に比べ冷風が吹き家の中にいればクーラーは不要です。
でも外は暑いです。出歩くのは夕方にしています。
お願いがあります。
「NPO法人ついのすみか研究会」
は受理され10月に認可が下ります。
先行してブログで情報の蓄積を始めます。
『いのちの手帖』最新号の原稿訂正が
まだ間にあえば、新しいNPOのURLを載せてください。
大阪の正食協会の月刊「むすび」で9月号
から連載を始めました。
                 花井陽光」

ご存知の方もいるでしょうが、
花井さんは、発病前は、マクロビオティックの総本山である
日本CI協会で、自然療法はもちろん、
玄米菜食法の活動のリーダーでもあったわけで、
早速、関西最大のマクロビオティック組織である
正食協会の月刊誌「むすび」で連載執筆も開始したというのです。
タイトルは「幕末・維新を駆け抜けた食育の祖――
石塚左玄の実像」というもので、100年以上前に、
玄米食の優位を主張し、日本の食育を提唱した、
明治の食の先駆者である医師・石塚左玄を
故郷・福井に取材したものです。


1 http://tsuinosumika.blog113,fc2.com
2 http://www.macrobiotic.gr.jp/musubi/contents/index.html


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2007年9月11日(火)

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