元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1861回
「夫・逸見政孝を襲った3回の無謀な手術」

いま発売中の「いのちの手帖」第4号の20ページ巻頭対談=
逸見晴恵さん VS イディス・シーさんによる
「●ときめき対談● 子宮ガン、乳ガンを超えて――
もっと、わくわく、 もっと、輝いて・・・
〜この10年は”生きがい探し”の旅でした〜」
内容紹介の続きです。
「夫・逸見政孝の悲しみを乗り越えて14年」という項目は、
逸見さんの14年間のガンと闘病秘話です。

      *

逸見:そう。七ヶ月に三回も手術して、
先生のおっしゃるとおりにお願いしますと、
祈る気持ちだったわけですが、
死んでから悔やんでも後の祭りでした。
残された私も、息子も娘も、
ほんとうにどうしていいか分かりませんでした。
しかし、私はふたりの子を抱えて悲しんでばかりはいられません。
ある人の助言で、これからの患者は
自分の判断と選択でいのちを掴んでいく時代です。
逸見さんのご主人は
身を挺してのガンと闘った。
失敗もあったけど、
この貴重な体験を次に続く
多くの人に伝える使命があなたにはある!
立ち上がりなさい・・・といわれたんです。
わたし、本当にそうだと思って、ムクムク立ち上がったんです。

シー:勇気ありますね。
いまは、あちこちと講演をされ、
本を通じて、体験したこと、
ご主人の残してくれた教訓を
多くの方たちに伝えられているわけですね。

逸見:少しでも多くの方が納得行く治療が出来るようにですね。
ところが、主人が亡くなって半年後に。
こんどは自分の病気がみつかったわけです。
子宮頸ガンです。
こんどこそ、
私は医師の言いなりになるまいと決心しました。
聖路加病院は病院も親切で、医師もいい先生でした。
でも、絶対一カ所だけで言いなりになるもんかって、
それでも二カ所、三カ所と、
ほかの病院や医師にも意見を聞きにまわりましたよ。

シー:わたしもそうなんですが、逸見さんの場合は
子宮頸ガンの円錐切除の手術をなさった?

逸見:幸運にも、それだけで済みました。レーザー治療だけで。

司会:まさに、うまくいったのは
ご主人の貴重な教訓のおかげですね。

シー:ベターな選択ができたわけですからね。

逸見:そう、主人のあの苦しみを知らなければ、
ガンのセカンドオピニオンなんて思いもつかなかったと思います。
それと、女の人は三十過ぎたら、
私のように、なんの自覚症状がなくても
検診を受けなさいって言えるようにもなりました。
症状が出てからでは遅いということを聞きますけど、
子宮頸ガンはほとんど症状がないんです。
悪くなった時に症状がでるんです。

司会:逸見さんの場合、どうして子宮頸ガンが分かったのですか?

逸見:夫がいなくなれば、私が生計を立てなければなりません。
借金はあったし、子供たちの教育費もかかるし。
とにかく、自分の体を調べなくては働けないでしょ。
それで、まず自分の体をまず確かめて、
働ける体かどうか調べようと思ったんです。

シー:じゃ、お子さんは高校生か大学生くらいですか?

逸見:そう、娘が18歳と息子が20歳。
でも、父親に続いて、
お母さんも病気って言われてもピンとこなかったみたいでしたが、
今にして思えば、早期検診でガンを早めに処置できたことは
よかったと思っています。不幸中の幸いでした。

             *

逸見さんとシーさんの前向きな闘病の話を読めばきっと
勇気と希望が湧いてくるはずです。


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2007年10月1日(月)

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