元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1890回
養生と「無縄自縛」

大阪の正食協会で、
会長の岡田定三さんとお会いした話の続きです。
マクロビオティック食養生法を
ただ食事法、治療法と窮屈に狭めるのではなく、
これからの生活やいのち全体の哲学の
「最高判断力」として自由に応用しようという話を伺って、
僕は、とてもエンパシー(共感)して嬉しくなりました。

岡田さんとの話の中で、
とくに感銘したのは、マクロビオティック玄米菜食法が、
最近、若い女性を通じて共感者を増やしているが、
ただ食事法や治療法として、堅苦しく考えるのではなく、
これからの自然なライフスタイルを創造する
大いなる「いのちの哲学」として応用することが大切だ――、
という、ホリスティックな発想でした。

岡田さんの高説をもう少し紹介します。
「私どもの料理教室の生徒さんには、
『マクロがいいと信じたとしても、
絶対に人には押しつけるな』と、いつも釘を刺しています。
とくに奥さんが、これがいいと信じ込んで、
亭主に無理やり玄米を食べさせたりしては絶対したらいけないと、
これは厳しく言います。
なぜかというと、食べものより家庭崩壊させる方が
よほど大きな問題ですからね。
食べものを変えるぐらいのことは、
おいしい料理を出していれば、おいおい自然に変わっていきます。
『無縄自縛』という言葉があります。
ない縄に縛られるという意味です。
僕らが若い頃のマクロビオティックの受け取り方は、
そういう面がものすごくあったと思います。
『邪食』という言葉自体がそうです。

あれを食べてはいけないこれを食べてはいけないという
戒律をどんどん拡大してしまって、
それが頭の中を支配している。
そういう時代を経て自由な時代へ入っていく
道筋としては悪くはありませんが、
ただそれは、マクロビオティックが病気治療から
スタートしたところにいちばん問題があると思います。
病気治療の食事が基本にあって、
健康そのものだという人が
どういう食事をしたらいいのかという
基準があまりはっきりしていないんですよ。


マクロビオティックというのは
やっぱり食養生学だなという面がいまだに強くあります。
そのあたりに、
これからマクロビオティックが大衆化していく時に、
よほど注意していかないと、
せっかく広がりながら、
変質したものになっていきかねないなという感じがします」

この話は、僕がすでに読んでいた
岡田さんの講演要旨も合わせて
当日の内容をまとめたものですが、
みなさん、どう考えますか? 
『無縄自縛』の戒め――、日ごろの生活を省みて、
ドキッとするキーワードではありませんか?
僕たち患者にとっても、これから元気に長生き、
ゆったりたのしく過ごして生きたいと思っている人たちにとっても、
じつに柔軟に「いのちと食」の大切さ、
また、実生活での応用の仕方を教えてくれる――、
まさにホリスティックについて説いていると思いました。

ちなみに、岡田さんは「滴水塾」という講演会を月1回、
正食協会の講義室でなさっていますから、
関西方面の方は聞きにいってみてください。
問い合わせは正食協会のホームページ
で確かめてみてください。


1 http://www.macrobiotic.gr.jp/seminar/top/index.html


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2007年10月30日(火)

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