元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1893回
骨髄移植は間違っていたか?

3年前、突然、血液のガン=急性骨髄性白血病と診断され、
骨髄移植を克服して
奇跡的に生還した花井陽光さんの話の続きです。

花井さんはインターネットに元気を回復して、
「花井陽光  ついのすみか(終の棲家)」
と題するBLOGを開設して、
日々、自らの闘病体験を通じて、
『50代が抱える、いのち』の問題について
メッセージを送っています。
また、正食協会編集委員として、
機関誌である「むすび」誌2 では10月号から
「ついのすみか」という連載を続けています。
「むすび」誌はいま11月号が発売中です。
興味のある方は読んで見てください。

ちなみに10月号には、なぜ、花井さんが
退院後の生き甲斐として
「ついのすみか」探しのテーマを選んだか、
その闘病克服の経緯が
「骨髄移植は間違っていたのでしょうか」と題して
詳しく書き綴られていました。
一部を紹介しておきましょう。

           *

《突然の宣告 急性骨髄性白血病》
マクロビオティックに携わり30年、
日本CI協会の専務理事として約15年、
病気とは最も遠いところにいたはずでした。
それがある日、突然急性骨髄性白血病と診断されたのです。
2004年10月8日のことでした。
そのときの驚きと絶望的な不安感は形容の方法がありません。
元来薬嫌い医者嫌いでしたが、
放っておくと3ヶ月が生命の限度といわれて
医師の指示に従いました。
化学療法を半年間続け退院しましたが半年後に再発、
2005年末骨髄バンクに登録し翌年ドナーが決まりました。
そして世話になった日本CI協会は
入院中の2004年11月に退職しました。

無菌室で行う骨髄移植は背骨にドリルで穴をあけ
骨髄を植えつける手術ではありません。
白血病は血液のがんです。
血液が作られる骨髄液を根絶やしにする
超強力な抗がん剤を全身に流し、
その上で遺伝子が合致した
他人の骨髄液を植えつける(移植)のです。
見知らぬ他人から無償で800ccもの骨髄液を頂きました。
骨髄液は輸血と同じ要領で体内に注入されます。
この間、12時間くらいかかりましたが
痛みなどはありません。

しかし移植後は壮絶な療養生活を余儀なくされました。
まずすさまじい口内炎に襲われました。
口内が腫れ上がり痛みで唾液すら飲み込めません。
食事も水も飲めないほどの口内炎です。
あまりの痛さで言葉も話せません。
喉の奥からは絶えず粘着力の強い粘液がとめどなく出てきます。
強力な抗がん剤のため脱力し、
その日からベッドの前の
簡易トイレに行くこともできなくなりました。
足に力が入らず歩けないのです。
小便も大便もオムツを当て垂れ流しです。
意識が朦朧となり口内炎で口もきけず
羞恥心は見事に消えてなくなりました。
看護婦さんにお尻を拭いてもらうことさえも。
幻覚や幻聴も体験しました。
そのリアルさは今でも鮮明に覚えています。

詳細は書けませんが、
幻覚だと認識できたのは移植後随分後になってからでした。
それほど、身近に彼らはいたのです。
常に付き添ってくれていて話をしていました。
さて、1年6ヶ月の入院生活で4度死の淵を歩きました。
輸血により起きる緑膿菌による敗血症、
心拍数が1分間に200を越す頻脈が何日も続きました。
高熱が続き血痰のでる肺炎もありました。
そして深夜点滴管が外れ、
血液が逆流し気がつくと床一面が血に染まったこともありました。
振り返れば今生きていることが不思議なくらいです。


1 http://tsuinosumika.blog113.fc2.com/blog-category-0.html
2 http://www.macrobiotic.gr.jp/musubi/contents/index.html


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2007年11月2日(金)

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