元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2002回
正食の始祖・桜沢如一さんのこと

不二屋から赤福、船場吉兆などの賞味期限表示違反、
地鶏などの原産地表示違反などの表示の「偽装」、
さらに中国輸入冷凍加工食品の
違法農薬混入事件などなど食べ物の安全性が問われている――、
事件処理や原因追及の問題は別にしても、
「美食」「飽食」そして「偽食」から、
わがいのちを守るためには、「偽食から正食へ!」
自分なりの「食のライフスタイル作り」が、
ますます大切になってきたと、このコラムでは
メッセージを送ってきました。

その「正食」の基本が、僕の「ガンを切らずに延命10年」の
パワーの源となった
マクロビオティック玄米菜食法のすすめでした。
この日本の風土や日本人の体質にのっとって、
自然のバランスを図るという
マクロビオティック(正食)運動を起こしたのが、
桜沢如一(さくらざわゆきかず)さんですが、
この桜沢さんに関する生き方が、
無双原理という「比べる物が無いほど素晴らしい理論」ですが、
いま、さまざまな人たちから見直され始めています。

自然界のあらゆる現象は、
「陰」と「陽」という二つの根元的な力性の
バランスの現れであるという、
中国の古代思想の「易」から導かれる原理で、
これを人生観、世界観の最高判断力とすべしという考え方です、
食物においてももっとも栄養バランスの取れた
玄米中心にすることが心身のバランス源だとして、
ひいては健康で長寿を達成することができる――
この食哲学をマクロビオティックと命名しました。
Macrobioticとは、
macro(マクロ=大きい、長い)+
bio(バイオ=生命)+tic(ティック=術・学)
の3つの言葉からなる造語です。
意味は「大なる視野で生命を見る理論と方法」です。

もちろん、すでにマクロビオティック玄米菜食法で
食養生を取り入れている人なら、ご存知のことですが、
桜沢さんの略歴は以下のようなものです。

【明治26年(1893年)10月18日 京都生まれ。
マクロビオティック理論を創始し、この食養運動を世界中に広め、
昭和41年(1966年)、波乱万丈の生涯を終える。享年73歳】
本人が結核で生死の境をさまよっただけでなく、
母親や兄弟たちを結核で失ったこともあって、
幕末・明治の陸軍軍医、石塚左玄の提唱する「食養道」を学び、
実践することで奇跡的に健康を回復。
これが桜沢さんが「マクロビオティック運動」を
はじめるきっかけとなりました。
20歳のころから神戸で貿易商として活動。
食養道を世界に問うべく、1929年にシベリヤ鉄道経由で渡欧。
フランス、パリのソルボンヌ大学で学び、
名著『無双原理・易』を出版。
1939年には食養会と分かれて
無双原理講究所や青年塾のMI塾などを運営し、
多くの著書を書き、研究生を海外へ送りだしたわけです。

おかげで、いま僕も暴飲暴食の世界を脱出して、
日本人らしい「正食」の養生法である、
マクロビオティック玄米菜食法にめぐり合い、
「美食」「飽食」「偽食」の蔓延する世の中で、
手術もせずに「ガン延命10年」を過ごすことができたわけです。

さて、桜沢さんが亡くなったのは40年も前で、
とうぜん、邪食の世界に溺れていた頃の僕は、
まったくマクロビオティックについて知りませんし、
桜沢さんにも面識がないわけですが、
人間の縁とはおかしなものですね。
先日、「もしかしたら、若き日の桜沢如一さんと、
関根さんのお祖父さんは、短歌仲間で
知り合いだったかも知りませんよ」という手紙が、
和歌山県新宮市の図書館から舞い込んできたのです。


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2008年2月19日(火)

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