元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2059回
「いのち拾い」――土壇場の選択

「手術をすべきだ」という医師と、
「いや手術はしたくない」と強情を張る患者が対決した
10年前のわが身の出来事を、
僕の闘病記「母はボケ、俺はガン―二世代倒病顛末記
から抜粋紹介する――
「人面癌が消えた!
奇跡の始まりか、終わりなのか」という、
希望と不安の錯綜したタイトルの章の紹介の続きです。

          *

ともあれ、やっと食い物が喉を落ちるようになったぞ、
これ以上、抗癌剤と手術による疼痛で
のたうちまわって死ぬのだけはごめんだ――、
この直感が支えとなって主治医の折伏を跳ね返したわけだ。

もちろん、「手術拒否」と言い切った心の昂りの中で、
本当に不安や心配はないのかい?という
悪魔の囁きが胸を浸潤したことはいうまでもない。
退院して一人寂しく秘薬を飲む日々の姿は、
そう明るいものではない。
もし、また食道が詰まったら、
どこで点滴袋をぶら下げるのか。
癌が転移してそれこそ肺でも蝕まれたら、
どの病院に体を預けたらよいのだ。
やはり、癌玉が消えたのは
束の間の奇跡だったのではないか?(略)

よし、かりにあと五年の余命としたら、
なんとしても癌という
身中の悪魔虫をなだめすかすような体質を作り上げよう。
残された人生でやりたいことを片付けてしまおう。
苦しまずに死ぬ方法だってあるはずだ。
「治った治った! 癌が治った」
まるで夢遊病者のようにぶつぶつと呟きながら、
主治医の部屋をあとにしたのである。
退院は二日後に決まった。

あまりのドンデン劇に
世話をしてくれていた看護婦たちもびっくりしたようだった。
「あさって退院ですって、おめでとうございます」
座薬の名手、涼子ちゃん(注・担当の看護士)が、
ちょっと顔をこわばらせて病室に入ってきた。
「いろいろお世話をかけました。
どうせ手術しなくても、同じだと思うんだ。
愉しい娑婆が待っているから退院するさ。ハッハッハ」
「いやだ!本当に性格がアッサリしているんだから。ハッハッハ」
無意味な笑いが独房病室に飛び交ってポトンと沈殿した。
さぞ、ヘソの曲がりくねった
“無鉄砲な偏屈おじさん”だと思ったに違いない。
ともあれ、己の我儘気儘な決断が
大病院の手術計画を覆し、
二ヶ月早い退院を決めてしまったわけだ。
患者の浄引きは大病院の非常識となってしまったのである。

         *

こうして、僕は無謀ともいわれるガン闘病を選択して、
幸運にもあれから10年――
『いのち拾い』をしたことになります。
もちろん、いまの大学病院やガン専門病院では
手術こそもっとも科学的標準治療と決めていますから、
どちらを選択するかは患者の自由です。
しかし、ガン治療は切り傷や
タンコブの除去治療とは違いますから、
「土壇場の治療判断」は、一人一人の運命を変えます。
僕のような治療の選択をして、退院後も、
漢方や食事療法などを徹底、
上手に、ゆったり延命している人も増えてきました。
己のいのちは医師任せにしない。
「己のいのちは己で創る」・・・このスローヘルスな考え方が、
古くて新しいガン克服の基本原則だと、
僕は確信しているわけです。


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2008年4月16日(水)

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