元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2076回
ガン人生もいろいろ・・・

僕が「ここで死んでたまるか!」と踏ん張った
「ガン延命10年」の裏には、
老母の認知症に加えて、その前に「姉の急逝」という
運命的な出来事があった――、

拙著「ガンは宿命、癒しは運命」という本には、
老母の記録の章に続いて、
「人の命なんど短きや、
姉は四九歳、くも膜下で急逝した」――と題する章に、
姉が急逝したときの悲しみを
思い出すくだりがありますので、
続けて、その部分も抜粋紹介しましょう。

                *

僕にはたった一人、治子という姉がいた。
気丈で人の面倒見がよかったせいか、
タバコの吸い過ぎとストレスをため込んで四九歳のとき、
くも膜下出血で大いびきをかいて人事不省に陥った。
アッという間に昇天した。
我侭気侭の母親とは正反対の宿命にいたわけだ。
まさに人生の夭折だ。
宿命の不条理に四つ年下の僕は死に化粧を施しながら、
わけもなくポロポロと涙を流してしまったことを思い出す。
妻と並んで火葬場で掴んだ四九歳の姉の骨片は、
まるでわが身の不幸に反発するかのようにしっかりと太かった。
「まだお若いですね」
係りのおじいさんがかき集めた姉の遺骨の山は、
骨壷に入りきれずに溢れ出た。
僕は運命のボタンをどこかで掛け違った
姉の命をいとおしんだ。
演歌の一節ではないが、人生いろいろ程度の感傷に
そのときは浸っていたのかも知れないが、胸が張り裂けた。

まして病気がちだった老父は喉から声を失ってしまった。
通夜にも葬儀にも行く勇気が湧かず、
わが娘が見舞いに来てくれた在りし日を思い出しながら、
一人むっつりと病室で短歌を作っていた。
<長女逝く>と題してこんな二首が残っている。

「治子さんですよ」と 病室のドアを開けて 見舞いくれし
             そのおももちの 豊かさしのぶ

嫁ぎてより 話する日の すくなかりき
             きょうは話はずみぬ 長女逝きたり

(略)「死の原風景」が刻み込まれたなどと
気取った言いまわしはしたくないが、あれから(略)
たしかに男60歳にして「一皮剥けた」。
家族を襲った運命のいたずらに
あちこち頭をぶつけながら、
やっとたどり着いた養生の道とは
「宿命を呑み込んで運命を切り開く」これにつきた。(略)

           *

今読み返すと、この本も死の不安に脅えるためか、
文章にちょっと気負ったところがあると思いますが、
まさに「運命」とは過酷で一寸先の分からないことだらけです。
しかし、不幸をバネにして「運命を切り開く」パワーも
人間って秘めているものなのでしょう。

10年前に、ガンと宣告されて、
あわてふためいた僕が、いま幸運にも
「いのちを掴み取った」ばかりでなく、
人生を納得して過ごすための
スローヘルスな処世の知恵も得ることができたわけですから、
病院、医師や薬を探し回ることも大切ですが、
まず家族と協力して、心身のパワーを高める
養生法に励むことが大切だと思います。
まさに「希望こそ良薬、あきらめは毒薬」であるわけです。
「ガン養生の基本は心にあり」と気づいたら、
拙著「ガンは宿命癒しは運命―闘って克つ新・夫婦養生訓
も再読して見て下さい。


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2008年5月3日(土)

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