元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2077回
亡き祖父・沖野岩三郎と軽井沢の思い出

このゴールデンウイークは、
上手く計画した人は10日以上の長期休暇となるわけで、
みなさんも、海外に、国内に、
家族旅行を楽しんでいることだと思います。
僕は今日まで軽井沢のブレストンコートという
ホテルで過ごしています。
昔の星野温泉が改装されたリゾートホテルで
ここのホテルの真ん中に
軽井沢高原教会というのがありまして、
若いカップルの結婚式場としても人気のホテルですから
みなさんのなかでも滞在したことがあるかも知れません。

もう昔の話となりますが、
じつは、僕の母方の祖父である沖野岩三郎という作家が
晩年、ここから近い中軽井沢・千ヶ滝に
惜秋山荘という別荘で暮らしておりまして、
この教会の牧師をやっていたこともあったので、
思い出すようにして孫娘を連れて保養に来たわけです。

もちろん、最近、この沖野岩三郎という
大正期の数奇な作家を主人公にした
評伝「大逆事件=大正霊戦記」という本を書き下ろしたことも
軽井沢を思い出させる契機となったわけですが、
本は、このコラムでもなんどか紹介しましたように
おかげさまで、ただいま好評発売中です。
もうすでに購入して読んでいる
読者もおられるかも知れませんが、
沖野という人は80歳まで生きたのですが、
とくに40歳をすぎてからは波乱万丈、
まさに「生を賭して」の人生を歩んだ人でした。

いまから100年も前になりますが、
当時の急進思想・社会主義を信奉し、
天皇制批判をしたというだけで「大逆事件」の極悪人として、
当時の論客・幸徳秋水以下12名が絞首刑に会うという、
裁判員制度が云々されるいまの“民主的”な時代から見たら、
想像を絶するような暗黒裁判が断行される
壮絶な「言論思想封殺」事件があったわけです。

いまだ、この事件の真相は謎を多く含み、
事件や裁判の真相に触れることがタブー視されていますが、
僕の祖父は、盟友たちが絞首刑や無期懲役刑にされたなかで、
奇跡的に共謀犯の嫌疑をまぬかれ、
以後、特別要視察人=重要不穏分子として、
特別高等警察のリストに上げられながらも
とたんの苦しみの中で生き伸びたわけです。

しかし、厳しい弾圧下でも、
生涯、キリスト教や文豪トルストイの思想である
「自由・平等・非戦」の信念を貫き、また文才に恵まれたこと、
歌人の与謝野寛・晶子などの
自由主義を信奉する作家やジャーナリストたちの
「縁」に恵まれたことも幸いしました。
尾行・郵便物検閲といった厳しい監視の目をくぐって、
とうとう事件後8年の大正7年、
この「大逆事件」の真相を暴く長編小説「宿命」を、
大阪朝日新聞に発表して、一躍、文壇にデビュー。
以後、「もっとも長く大逆事件の真相を書き続けた作家」として
近代文学史に名をとどめたことになります。

もちろん、僕が物心ついた小学生の頃は、
祖父は最晩年で、眼も失明寸前でしたが、
軽井沢の白樺林の中でゆったり過ごしており、
よく面白いオトギ話を聞かせてくれる
「おじいちゃん」という感じで、
この残虐事件の真っ只中を生き伸びてきたことも、
ときおり、笑い話として聞かせてくれる程度でした。
そして、いま滞在しているホテル・ブレストンコートの敷地に、
ひっそりと沖野岩三郎を記念する歌碑が残されており、
昔の記憶をたどりつつ、久しぶりに愉快だったおじいちゃんに
”再会”したことになったわけです。


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2008年5月4日(日)

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