元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2088回
軽井沢高原教会の牧師さん

自らの魂の帰る=
ホームカミング出来る
「魂の居場所」を持っている人は、迷いが少ない。
病気や不安からの立ち直りが早いという話の続きです。

「自分の魂の故郷」へ帰る、
もしくは「より深い自分を知る源」へ帰る・・・
ときによく使われる言葉がホームカミングですが、
このゴールデンウイークに、
僕は「大正霊戦記―大逆事件異聞 沖野岩三郎伝
という本を書いたこともあって、
数十年ぶりに、大正期の作家であった
祖父・沖野岩三郎が晩年をすごした、
軽井沢・千ヶ滝の山荘跡を訪れました.

いまは、沖野が残した歌碑が、
そこから近いホテルブレストンコート内の
軽井沢高原教会の前に残されているだけで、
すでに思い出の場所はほとんどないわけですが、
ちょうど、このホテルのコテージに
孫娘たちと滞在していましたので、
久しぶりに昔を偲ぶことが出来、本当に心が休まりました。

「物書きて 倦みぬる時は 口笛に
頬白の歌を まねてみるかな」

あの忌まわしい大逆事件や刑事の尾行から解放され、
やっと心の安定を得た、作家・沖野岩三郎の晩年の心境が
しみじみと伝わってくる作品です。

軽井沢高原教会というと
ご存知の方も多いでしょうが、
キリスト教の結婚式場で若い人たちに人気の高い教会です。
このコラムを読んでいる方の中にも、
ここで結婚式を挙げたり、
親戚の結婚式に参列した方もいるかも知れませんが
太平洋戦争後の昔話ですが、
晩年に牧師に復帰して就任したのが沖野岩三郎でした。
ま、その縁もあって、教会・牧師館の正面に
「頬白(ほおじろ)の歌」の歌碑が保存されているのでしょう。

この場所に立ってみて、
僕は、なんとなく、ホームカミング=
「自らの魂の帰る居場所」のような気分になったのは
不思議なことでした。

兼瀬清志牧師(左)と。
祖父・沖野岩三郎の歌碑にて。

なぜ、そうした感慨にふけってしまったか?
それは波乱万丈を乗り越えた祖父への想いもありますが、
この歌碑を訪れたときにお会いした、
軽井沢高原教会の兼瀬牧師ご夫妻が、
とても温かみに溢れた方だったからだったと思います。

じつは、軽井沢高原教会の牧師・兼瀬清志、由利子ご夫妻が、
インターネットのBLOG
で発信しておられることも知りまして、
事前に、お会いしたい旨をメールで送っておいたのですが、
病中にもかかわらず兼瀬牧師はわざわざ牧師館にお出ましになり、
開口一番、「お体は大丈夫ですか?」と僕を気遣い、
まるで十年の知己のように手を握り締めて
迎えて下さったではないですか?
兼瀬牧師も、喘息の大病をなされており、
ああ、ほんとうに人間の悲しみや痛みの分かる
いい先生だなあ・・・と直感し、
心身に温かさが伝わってきました。

教会だ、お寺だといっても、最近は
機械的に冠婚葬祭をこなす聖職者が多い中で、
とても素晴らしい先生にお目にかかることが出来たわけです。
こうした教会こそ心温まる『魂のホームカミング』に
ふさわしい居場所ではないか?
僕は、そんなことを感じてしまったのです。


1 http://karuizawachurch.dreamblog.jp/


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2008年5月15日(木)

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