元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2089回
牧師さんのBLOGが繋ぐ「魂の絆」

軽井沢高原教会の教会・牧師館の正面に保存されている
祖父・沖野岩三郎の歌を刻んだ
「頬白の歌」の碑を久しぶりに訪ね、
その場所に立ってみて、
僕は、なんとなく、ここはホームカミング=
「自らの魂の帰る居場所」ではないか?と思えた――

なぜ、そうした感慨にふけってしまったか?
それは波乱万丈を乗り越えた祖父への想いもありますが、
この歌碑を訪れたときにお会いした、
軽井沢高原教会の兼瀬牧師ご夫妻が、
とても温かみにあふれた方だったからだった――
という話の続きです。

これも祖父の評伝「大正霊戦記―大逆事件異聞沖野岩三郎伝
を書いた「縁」がもたらしてくれた幸運でしょうが、
この兼瀬牧師さんの人となりは、
「軽井沢高原教会のつれづれ日記」という、
ご夫妻で毎日発信している
インターネットのBLOG1を開くと
たちまちのうちに分かります。

牧師さんはもう22年、この教会に勤めておられるわけですから、
数千の新婚カップルを世に送り出したことになりますが、
その司式の温かさを忘れられない,
多くのカップルが兼瀬清志牧師、
奥さんの由利子さんご夫妻の季節便りに、
懐かしさをこめてメールを送ってくる――、
BLOGを開けば、そうしたときめきにも似た
心温まる雰囲気がふーっと伝わってきます。
まさに牧師さんの「つれづれBLOG日記」を通じて、
全国の若い世代が、ホームカミングしていることになります。

このBLOGを開くと、次のようなメッセージと
ご夫妻のにこやかな写真が飛び込んできます。
「このブログは軽井沢高原教会の牧師の一人である
兼瀬清志と妻の由利子が
軽井沢の風景をお届けする日記です」

教会や教団というと、どうも心気臭く、
また教条的な信仰を強要するようなセクト的なものが
多いように思いますが,この牧師さんの日記には
「宗教的な強制はしません」とまで書いてあるではないですか?

「歴史は大正10年、世界の日本を意識した大切な時代です。
素晴しい心の世界が語られて形にしたいと
願いが起こって建造されました。
先人達の熱い想いが形になって
今日の軽井沢高原教会があります。
高い文化の中で生まれた教会なので宗教的な強要は一切しません。
信者も作りません。会員も要らないのです。
多くの争いごとは其処から始まっている気が致します。
どんなに正しいと思うことでも、
それが過ぎると戦争になる事を私達は長い歴史の中で
嫌と言うほど体験してきました。
其処に居るだけで心が安ぐ教会でありたいですね。
昔は町中が守っていた場所(聖域)がありました。
村中の人の意識が集まっている場所がありました。
誰かが黙って祈っている清らかな場所がありました。
そこで人々は心が養われてきた気が致します。
礼拝堂としての教会、教会を囲む森、其処に流れる風は、
きっと身も心も魂も再生すると信じています。
神様の風が心を寄せる全ての人達を守ってくださるように!」

どうです? 素晴らしい魂の伝道者であり、
素敵なエネルギーに満ちた「いのちの場」だと思いませんか?
僕は、幼い頃からクリスチャン家庭に育ちましたから、
宗教界のマイナス面もよく知っておりますから、
こうした自由闊達で柔軟な考え方の牧師さんに会えたために
「ああ、ここはホームカミングの居場所なのだなあ」
と感じたのだと思います。


1 http://karuizawachurch.dreamblog.jp/


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2008年5月16日(金)

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