第1214回
最後の晩餐
♪ 今日でお別れね もう逢えない
あなたも涙を 見せてほしい ♪
(作詞:なかにし礼)
なんてことは、まったくございませんよ。
明日からはこちらへどうぞ。
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=生きる歓び= by J.C.オカザワ
今すぐ貴方の“お気に入り”の“仲間入り”を
おん願い、たてまつります。
菅原洋一の歌った「今日でお別れ」が
レコード大賞に輝いたのは1970年の大晦日。
この年の春にJ.C.は大学に入り、
ほどなく過激派学生による校内占拠、いわゆるロックアウトで
通学はかなわず、これ幸いとひたすらアルバイトに励み、
翌‘71年春にはヨーロッパへと旅立ったのでした。
今年はあれからちょうど40年。
記念日の3月25日午前11時には
ハバロフスク号が出航した横浜の大桟橋に立つつもりでいる。
そして一日中、横浜の街をほっつき歩き、
陽が落ちたらすかさず飲み歩くのだ。
なにせ、自分の将来を決した大事な日ですからね。
万博が開催された‘70年は
よど号のハイジャックや三島由紀夫の自決があった年。
カップヌードルが発売され、
スキンシップとウーマンリブが流行語になった。
そう、そう、“鼻血ブー”なんてのもあったっけ。
パンダが来日して話題をさらっている上野動物園の入園料は
今現在600円だが、当時はたったの100円にすぎなかった。
“光陰矢の如し”とまでは思わないけれど、
月日の流れは早いものですな。
最終回につき、最後の晩餐であった。
J.C.の場合は晩餐ではなく、あからさまに晩酌だろう。
酒の飲めない身体になってさえいなければ、
まず間違いなく、最後の晩酌でしょうね。
その際、人生の伴侶に恵まれていれば二人で、
いなければ独りで、ということになる。
飲みだしたらハシゴになるのは必至。
飲めばハシゴの三度笠である。
それが我が人生。
舞台は浅草でキマリだ。
季節は晩春から初秋にかけてが望ましい。
暖かな夜がいいから、寒い冬はイヤ。
その夜をシミュレーションしてみよう。
夕暮れどきに本所吾妻橋の「23BANCHI CAFÉ」にて
生ビールのエクストラコールドを2杯、立て続けに。
吾妻橋を渡り返し、かんのん通りの「志ぶや」へ。
ここでは芋焼酎をロックで2杯。
普段は小肌酢が気に入りのつまみながら、今宵はパス。
小肌はあとにちゃあんと控えておりやすからね。
そこでのぼり鰹のたたきを所望しよう。
生ニンニクを薄くスライスしてもらってね。
ニンニクなくして何の鰹よ!
おあとは本命の「弁天山美家古寿司」。
平手造酒よろしく地獄参りの冷や酒を2杯やる。
つまみを省き、ハナからにぎりに邁進(まいしん)したい。
平目昆布〆・小肌・小肌w/おぼろ・
穴子w/煮キリ・穴子w/煮ツメ・玉子
と計6カン、ほかには何にも要らん。
締めくくりは「神谷バー」。
生の中ジョッキをチェイサー代わりに
電氣ブランのオールドをやはり2杯。
我ながら実にシアワセな最後の晩酌じゃないか。
振り返れば1214回。
12月14日、赤穂浪士の討入りを連想させて
なかなかによいナンバーだ。
4年と8ヶ月はけして短くはないけれど、
花の命は短くて 楽しきことのみ多かりき
いつわらざる心境である。
シツッコいようですが
明日からは「生きる歓び」でっせ!
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=生きる歓び= by J.C.オカザワ
ご愛読、まことにありがとうございました。
そして編集を担当していただいたN雲サン、
連載のお声を掛けてくださったQ先生に
この場をお借りして感謝の意を表します。
愛猫プッチにも挨拶させようと思いましたが
惰眠をむさぼっておりましたので、悪しからず。
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眠れるウチの猫
photo
by J.C.Okazawa
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=完=
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