第3回
組織ケーエイ学1: 会社は商人であった。

人は、人生をどう生きようと自由だけれど、会社は違う。
会社の定義をするつもりもないが、
会社には商人でない生き方は許されておらず、
利益を宿命づけられている。
赤字がつづけば、いつかは債務超過となり、債務超過になれば、
債権者の申し立てによっていつでも破産に追い込まれる。
赤字が許されるのは資本に余裕のある間だけである。

ただし、利益だけが会社の目的なのかというと、
そこに経営者の夢が乗るぶん、会社のありようは様ざまだ。
社会貢献とか、従業員の幸福とか、株主の利益とか、
バランスのとり方がいろいろで、利益以外の夢があるから面白いわけだ。

小さな会社の文化とは、たぶんに経営者の人生そのものだと思う。
自分の場合、当初はもちろん経営者という自覚がなかった。
そもそもが自分で自分を雇うために作った会社であって、
目的は利益ではなく、給料を払うことだ。
その他の部分でも、自分にとって働きやすい会社にするという方向でしか
考えていなかった。

その後スタッフを入れるようになり、
現在では経営者(になりたい!)という自覚もでてきて、
小さくても会社としての文化と価値観をつくりたいと思っている。
ただ、あくまで個人を出発にしていたために、
必然的にSOHO的な価値観を意識するようになった。
SOHO的な価値観・・・これにはわが社なりの定義がある。

ただし、どんなに夢を描いても、
利益という基盤にのせなければ実現しない。
現在このことに知的リソースのほとんどが使われているのは残念でもある。

さて、商人ではないビジネスのあり方もある。
銀行員時代、ある大きな取引先がいつも小切手に印紙を貼ってくれないので、
どうして貼らないのかと、電話をかけて聞いてみたことがある。
彼らの答は、「当方は弁理士であり、商人ではないので、
印紙を貼る義務はない」というものだった。
「士農工商」の名残だろうか。不思議な制度である。


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