第15回
ブランドケーエイ学2: 無視する文化。

子どものころ、家のそばに「わたなべさん」という店があった。
20円のアイスクリームとか、70円の塩ジャケとかを買ってお金を渡す。
「はい、ありがとう」とおばあちゃんが言い、客も「どうも!」と答える。
世間話はしょっちゅうで、ときには「どこどこで人を捜しているけど、
行ってみないかい?」と、近所の奥さんに仕事の世話までしてくれる。
どこにでもあった、このような個人商店は、スーパーに客を取られて激減し、
コンビニの台頭によって、ほぼ絶滅した。

現代では、どこの小売店でも、店員は客には必ず挨拶をし、
頭を下げるよう教育されている。彼らが「ありがとうございました」と
深々と頭を下げても、客の方はまったく無視する。

お店も、従業員をデクのように扱い、ただただ声を出せという。
店員も、アルバイトを始めたころは、なかなか挨拶ができない。
そのうち声が出るようになるが、
それは言葉の意味を抜いて発声することを覚えるからである。
客の方でも、気の抜けた、ただのモゾモゾ声を、挨拶とは思わない。
いくら意味を抜いてるとはいえ、無視され続けては、
知らず知らずに人間性はすり切れる。
給料はもらえても、仕事自体に幸福を感じることはできない。

ゴルバチョフ時代のロシア(ソ連)に旅行したことがある。
デパートで買い物をしようと、商品をレジにもっていくと、
店員はぶっきらぼうに釣りを渡すだけ。礼の一言もない。
さすがに社会主義、商業のやり方を知らないのかと驚いた。
よく考えてみると、こちらだって無言でモノを突き出していただけである。
この店員の対応こそ、むしろ人間的だったのだ。

無視する文化は、スーパーやコンビニの拡大と、
「お客様は神様」というかけ声とともに、
商業が人間性をすりつぶしてしまった結果である。
無視は、もはやわたしたちの文化となってしまった。

しかしそうであれば、これを前提として、
ちがうやり方で差別化する企業戦略が可能なはずである。
だれだって心の奥では、人間性を求めているのだ。


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