第30回
組織ケーエイ学13: 続・経営ボケ。

まえに、つい哲学や理念を語ってしまう
「経営ボケ」について書いたが、
その効用について、具体的な例を書いてみたい。

たとえば、退職金の制度をどうしようか、と考える。
ふつうに考えれば、退職金制度はないよりはあった方がいいし、
できるだけ厚いほうがいい。
ただ、それが会社の体力としてできるかどうか、
じゃあ会社がコスト的にできる範囲はどこまでか、
という問題としてとらえられる。

これを、コストの問題ではなく、理念から考えてみる。
退職金というのは、早い話が賃金の後払いである。
「後にのばした方がもらえる額が大きくなる」と、
会社に従業員を引きとめておく手段に使われていた。
「個人の自由と主体性を尊重する」という理念にたてば、
払うべき賃金を留保しておいて後払いに回すということは、
いかがなものか。
それより、可処分所得をなるべく増やしてあげて、
「今使おうが、老後のために貯めておこうが、
それはあなたの自由ですよ」と考えるほうがいい。
そうであれば、退職金に回すより、
今払う給料を千円でも上げることだ。
これですっきりする。

卑近な例では、社員どうしで昼ごはんを食べにいくときに、
上司がカネを払うべきかどうか。
経済的な事情からは「オゴってあげたいけれど、カネが続かないから、
いつもはオゴれないかな・・・」というセコイ話になりがちだ。
理念から考えれば、オゴるというのは、
親分・子分の関係を前提とする体育会系のシステムだ。
オゴってもらうのは嬉しくても、料理の注文にも遠慮が生じる。
問題に比して大げさな考え方にはなるけれど、
あくまで「個人の主体性を尊重する」のであれば、
ワリカン主義で恥じることはない。

さて会社内部で、肩書きで呼ぶのか、さんづけで呼ぶのか。
これまた、個人の尊重=対等な信頼関係=フレンドリーな文化
という基本理念から、おのずと答がでてくる。

それぞれに別の考え方もなりたつように思える、
いくつかの悩ましい問題にも、
ひとつの理念から自動的に結論が導かれ、
その考え方に自信がもてるわけだ。


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