第32回
はみだしケーエイ学1: 日記に書ける人生。

小学校の夏休みのことを覚えているだろうか。
絵日記なるものを宿題に出されたけれど、
これには本当に困ったものだ。
海に連れて行ってもらうとか、そんなことが全くなかったから、
毎日まいにち「書くことがない」。

ぼくは、むかし銀行員だったが、まだ若いうちに銀行を辞めた。
会社を辞めると告げてから、
実際に会社を辞めるまでの短い期間は、
裏切り者というか、
とにかくハリのむしろに座らされる感じだろうと
覚悟していたけれど、全然ちがった。

むしろヒーローだった。
ジェントルマンの集まる素晴らしい職場だったのに、
そんな会社でさえ、辞めたい気持はあっても、
そこまでふっ切れないという消極的理由で勤め続けている人が、
けっこう多いとわかった。
夢の実現のために踏み出すことが羨ましい、というわけだ。
辞めたあとのじっさいの生活は、まったく恥ずかしい、
フガイのないもので、とても彼らが期待したような
ヒーローにはなれなかった。

「そんな会社をやめて、もったいないと思わなかったか?」と
よく聞かれた。
もったいないとは、思っていた。
いまでも、あの職場は大好きだ。
仲間にも恵まれたし、プライドも持てる。
ペイも厚いし、
おまけに海外赴任のチャンスの多い仕事であるせいか、
女性にももてた。
いま銀行は、つらい業種と言われるが、それでもたぶん、
もし勤め続けることさえできたならば、
給料はいまよりもずっと高いはずだ。
でも、ぜんぜん、後悔はしていない。

ぼくはギャンブルは一切やらないが、
会社をつくってからのぼくは、
人生そのものがギャンブルみたいなもので、
遊びに回る気力はほとんどない。
経済面だけでいうとさえないけれど、
人生的には十分ペイしている。
客を選び、仕事を選び、
スタッフを選ぶことができるから、ストレスはほとんどない。
うまく行かない場合は、だいたい自分に原因がある。

次から次へといろんな事件がおこり、
生活がニュースであふれている。
とても日記をつける余裕が持てなかったが、
もし日記をつけるとしても「書くことがない」と
困るような日は、ほとんどない。


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