第53回
組織ケーエイ学23: 精神論をいわないリーダー。

ぼくは精神論が苦手だ。
最初から精神論を振りかざす人を、あまり信用する気になれない。「気合い」とか「とにかくがんばれ」みたいなもので、事態がよくなるものだろうか。

私たちの仕事はデザインなので、デザイン品質のよしあしは会社の将来を決める重要なものだが、品質は、技能と知識でほとんど決まる。技能と知識のない人がどんなにがんばっても、成果を上げることはできない。
技能に関してメソッドがあるかどうか、適切な知識をあたえられるかどうかがいちばんのポイントで、「がんばれ」は最後のオマケだ。もちろん最後の最後は、がんばれるかどうか、なのだけれど。

精神論は、お年寄りに特有のものと思っていたのだが、若い人でも結構そういうことを言う人がいる。ことに不思議なのは、スポーツの世界だ。
この世界は、まるで精神論と亡霊理論が支配しているかのようで、知識とメソッドで勝負するのはむしろ少数派と見える。

「ホームランを打つには、ボールに当たる瞬間のヘッドの回転スピードを最速にするために、支点がぶれないように、力を入れて振るんです」
王監督の言うことは、とても理解しやすいが、他に誰がいるだろう?
長島監督については、皆さんもご存じの通りだ。
原監督は、どうなのだろう?「大事なの愛だ」などと言われると、あれえっと思ってしまうが。ま、勝てばそれでいいのか・・・
ネアカな性格というか、ただあの人が好きだからついていけるというか。サッカーの松木監督も、長島タイプに見えた。

現役引退後のスポーツ解説者なども、のき並みこのタイプで、一番解せないのが、試合には「流れ」があるという理論だ。
「ここで一発出れば流れが変わりますヨ」とか「勝つことが一番の薬なんです」みたいな理屈。勝つこと、そのためには点を入れることが、試合の目的だったはずで、その結果から説明されて「流れをつくる」と言われても、ぼくにはわからない。

人望のうすいぼくのめざすリーダーシップは、説明できるものにしたい。


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