第62
ブランドケーエイ学23: 丸投げ励行のこと。

小泉総理の丸投げ癖(?)が批判されてるみたいだが、ぼくは、結構なことじゃないかと思っている。

むかし法律の勉強をしていて気づいたことがある。10人くらいの学者が分担して書いた教科書は、判例などアップトゥーデートなものではあっても、覚えることばかり多くて、どうも理解しづらい傾向がある。これに対して、一人のカリスマ学者が年月を費やして書いた教科書は、最新情報は漏れていても、結局はわかりやすいのである。

さてビジネスの話にもどる。
営業マンの常套句として、何かを提案するときに「これも、あくまでタタキ台として、ご提案させていただきまして・・・」とかなんとかいうのがあるが、ご提案をつくった者としては、冗談じゃない、という気分になるものだ。

営業マンが相手の立場を尊重するとき、こちらの案をゼッタイと言えないことはよくわかる。だからまあ、レトリックとしてはそれでもいいんだが、提案される側も、そこのところをわきまえてもらいたい気がする。
つまりほんとにタタキ台になっちゃうと、いろんな人の意見がいろんな角度からでてくるもので、軽々にそんなのを取り入れちゃうと、整合性も一貫性もないグチャグチャな案になってしまう。

よく考えてない企画もあるだろうが、考え抜かれた企画というものは、全体がある種の理念とトーンで貫かれているものであって、ツギハギ無用のものになっている。
これに対し、大きな組織の意思決定は、すなわち「調整」であることが多い。「調整」で内部の合意はできやすいかもしれないが、自由社会の市場とは、そんな調整の産物が通用する世間であるか?

ソフトに関しては、ひとりの「天才」を信じて、その人の理想をいかに高く実現するかという点で、みんなが一致団結する。そういうやり方がいちばんいい。
とくに、企業のブランドをどう構築するかという問題は、そうでなければ実現しづらいものの典型である。官業ベースの巨大事業よりも、創業社長が一代で築きあげた商売のブランドの方が力強いのは、そういうわけだ。


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