第67回
ブランドケーエイ学25:ネガティブチェック。

商標権や特許など、認められれば結構うれしいはずの知的財産権だが、特許庁からの登録通知というものは、じつに味気ない。
彼らは「これは独創的だから権利を認める」などとは言ってくれない。
「これは拒絶する理由がないから認める」と言う。

つまり、これらの権利の審査というのは、ネガティブチェックが原則である。発明の進歩性などをどのように判断するのかは興味深いが、実質については、先行事例と抵触しなければ通るものくらいに考えていた方が実際的かもしれない。

考えてみれば、行政の仕事というのは、だいたいこのパターンである。
目をサラにして、だめな理由を見つける。逆に言えば、どこが優れているわけでもない案件も、形式的なネガティブチェックで実現してしまう。それが行政のスタイルなのだから、景気浮揚や起業家の育成など、ポジティブなプロセスで特別な成果を期待するのは、そもそもオカド違いなわけだ。

しかし、行政が「公平に」判断しようとするとき、制度として、ネガティブチェックとならざるを得ないのは、なかなか興味深い現象ではないだろうか。
さらに考えてみれば、行政でなくても、大きな組織になればなるほど、ネガティブチェックが、一般的な審査のスタイルになっていることに気づく。
つまり、ことのマイナス面は、わりあい公平・客観的に評価できるけれど、プラス面は、エイヤッと主観的・芸術的にしか評価できない。それが人間の法則みたいだ。

これからの、というかすでに日本の社会は、規格ぞろいであることが重要なのではなくって、個性と創造性が引っぱるしかない。プラス面をなんとか評価するシステムがどうしても必要である。
それなのに、そのような主体的な判断ができるのは、創業社長とかのカリスマか、クビをかけた暴走担当者だけというのが、心もとない。

大胆に権限を与えて結果で判断する。「責任マネジャー制度」みたいなものが、おたくの会社にも必要だと思うが、どうだろう?
でも、「責任を取らせる」ということにも慣れてないんだよなあ・・・。


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