第95回
ブランドケーエイ学38:先いく人をマークせよ。

「個体の発生は、種族の進化を繰り返す」という法則があるそうだ。
発生とは、受精した卵が細胞分裂して、しだいに成長していく過程をいうが、人間もほかの動物たちも、似たような経過をたどる。子宮のなかで、卵の分割からはじまってだんだん複雑化し、最初は魚みたいになり、つぎに両生類みたいになり、しっぽが短くなって、だんだん赤ちゃんの体になっていき、ついにその生物固有のカタチになって、生まれてくる。個人の、この発生のプロセスが、人間という種が進化してきた大
きな歴史を繰り返しているという。

文化は、社会的な事象ではあるが、これに似たようなことがあると思う。
社会全体の流れを、個人が成長過程でどんどん学び取って、成人する頃には、社会全体の先っぽの方に追いつく。もちろん個人差が非常に大きく、死ぬまで社会に追いつけない人もあるし、どんどん社会よりも先にいってしまう人もいる。

これはたとえば、美術の好みで考えると、わかってもらえるだろうか。
芸術は、美術史で語られるような大きな流れがあり、それを受け入れる方(鑑賞する方)でも、その流れを追いかけているようなところがある。
日本人が最初に美術にふれる頃は、だいたい小学生がモナリザに出会って感心する頃だが、中学・高校となってミレーあたりにまで広がる。その後、印象派がお気に入りになるわけだけれども、多くの日本人はそこまで。せいぜいゴッホまでだ。多くの美術館の企画展も、いまだにセザンヌ、ルノワールが中心である。進んだ人は、現代美術にまでいっちゃうけれども、これはごく少数派。

味覚にも、社会的に大きな流れがあり、個人の成長過程でそれを追いかけるという現象がみられる。
子どもの頃は誰でも甘いものがすきで、だんだんしょっぱいもの、辛いものへと広がり、すっぱいものというのは、かなり最後の方の感覚だ。
社会全体の、お菓子やケーキなどの嗜好に、典型的な流れがみられるが、戦後は、甘いだけで喜ばれた。60〜70年代には軽いもの。80年代には水っぽいもの。そしてだんだんチーズケーキやヨーグルトなどのスッパ系に来ている。

いずれの分野でも、進んだ人の「発生」は、社会全体の「進化」を追い越してしまうのだから、社会全体の動く先の方を占うとは、進んだ人が次に何を選ぶのかを観察するということである。


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