第97回
ブランドケーエイ学40:まじめ、まじめ。

特長のある商品を、特定のユーザー層に絞り込んで売ることが、マーケティングの基本だ。そういう意味でも、マーケティングとはほんらい、商品企画を含む概念だ。できあがった商品を目の前に置かれて、「なんとかこれの売り方を考えてくれ」と言われても、ほんとは限界がある。できれば一度、商品企画の段階で、呼んで欲しいもの
だとときどき思う。

しかし、とりたててキワだった特長のない、平凡な商品を、平凡な人たちに売らなければならないこともある。そういう場合にどうするか?
先日も、そういうものの典型事例にぶつかって、いろいろ考えた。
全体を大きく眺めたとき、特長のきわだった商品とか、主張のハッキリしたブランドこそがまれであって、ふつうは平凡な商品を平凡な客層に売っているのである。しかも、そこが最大のボリウムゾーンなのだ。

消費者個人の立場で考えても、こだわって買う商品というものはいくつもあるけれども、依然として消費の大部分は、どうでもいいものに関するものである。
なにもトイレットペーパーの話ではない。大きな買い物であるはずのクルマでさえ、じっさいは相当数の人がどうでもいいものとして買っている。特別に関心のない人にとってその分野の商品は、どれももう十分な性能・品質を備えているのだ。

平凡な人が平凡な商品を買うときであっても、「とりたてて要求の強くないあなたにぴったりな、どこをたたいても無難な商品です」と言ってはダメだ。そういう平凡な場面であっても、いや平凡な人であればこそ、なにか違う表現で、背中を押して欲しいものなのではないだろうか。
こういう平凡マーケットを、上手にすくったのが無印良品だったろうと思う。無印のいいところは、どうでもいい商品群に、なんとなく主張を感じさせて、消費者の思考停止を自覚させなかった。それを選んでいれば「賢い消費者でいられる」ような気がした。

「まじめ、まじめ、まじめ」の三菱の小型車コルトが思ったほど売れずに苦戦しているというが、これは典型的な、平凡マーケティングの失敗例に見える。
なるほど、社会を全体的にみれば、こういう商品を求める層は確実に存在するはずだ。でも消費者個別の心理でいえば、「三菱がまじめにつくった」と言われても、平凡さを強調する効果しかなかったのだと、感じられる。


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