第104回
カネカネカネのケーエイ学21:プロとアマとの間。

一昔まえまで、デザイナーになるには相当の技能の習得が必要だった。カラス口という道具をつかって、1mmの幅に細い線を10本書けるくらいでないと一人前でない、といわれたそうだ。技能習得のハードルがある程度高いから、その過程で能力の有無が測られ、不適切な人が排除されるしくみだった。

いまはそのような緻密な仕事は、すべてコンピュータがやってくれる。
ぼく自身、デジタル時代の開幕と同時に参入したクチなので、事務所にはカラス口はおろか、一本のロットリングも、コピー機もない。ぼくのような基礎技能のない者が参入できることは、一途に技能を磨いていた先輩たちにとっては、あまり面白くないものだったに違いない。

必要最低限のコンピュータを操作する知識さえあれば、必要な能力は、もっぱらアイディアと意欲と意思だけ。プロとアマの垣根はとても低くなった。このことはグラフィックデザインだけではなく、ビデオ編集や音楽制作、また建築設計などにも、同じようにいえるはずだ。
プロとアマとの差は、もはや技能ではない。アマチュアのある技能が、この道何十年のプロのそれを越えてしまう時代になっている。また、アイディアやセンスにしても、アマチュアの方がいい場合がいっぱいある。

ではプロとアマに、差がなくなってしまったのか。その違いはどこにあるのか。
ぼく自身が、アマチュアからプロとなっていく過程で勉強したこと。また、センスのよいアマチュアをプロの仕事に引き込もうとして何度か失敗したけれど、そのなかで勉強したことは、一口でいうと「意識の差」につきる。

よい仕事ができても、ムラ気のある人や、いつ電話をかけても留守電になるような人だと、仕事を発注することは難しい。コストと品質のバランスについての規範意識があるかどうか。納期と、クライアントに対する責任について、強い意識があるかどうか。アマチュアの問題は、たいがいここだ。ときどき120点の仕事をするアマチュアよりも、いつも85点の仕事をするプロの方が、信用できる。

プロには、そのような意識が不可欠であるが、逆にいうと、そこさえしっかりしていれば、明日からプロとして独立してやっていける。また、その意識が弱ければ、いまどんなに技能があっても、明日は相手にされなくなる。
この一点で、プロフェッショナルをなめてはいけない。


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