第357回
天安門事件なんかより、ずっと恐ろしい

中国での「暴動」と言えば、16年前、
1989年6月4日の天安門事件が思い出されます。
天安門事件の元々のきっかけは、
胡耀邦元総書記の急死でした。

中国では1986年に、学生の民主化要求が起こり、
当時の総書記だった胡耀邦は
これに寛容な態度をとったため、
1987年1月に突然、総書記を解任されてしまいました。

その胡耀邦が1989年4月15日に急死、
同氏の名誉回復を求める学生たちが天安門広場に集まり、
中国共産党指導部に対し、民主化を要求しました。

この民主化要求は
中国共産党現指導部への批判へとエスカレートしていき、
学生のデモは100万人規模にまで拡大、
これに対し、中国共産党指導部はこの動きを
「反党、反社会主義」の「動乱」と規定、
戒厳令を敷いた後、
1989年6月4日に人民解放軍が出動して、
この「動乱」を武力鎮圧しました。

この「動乱」、表向きは民主化要求でしたが、
その背景には、共産党幹部の汚職、腐敗、
インフレによる生活レベルの低下などによる、
中国共産党指導部に対する不満があった、
と言われています。

今、中国で頻発している暴動と、
天安門事件の共通点は、
その背景に共産党幹部の汚職、腐敗や、
生活レベルの低下などがある、という事です。

中国共産党としては、
共産党幹部の汚職、腐敗を早急に一掃すると共に、
経済成長とインフレ抑制を両立しつつ、
都市部の富を急速に農村部に広げていき、
農村部の民衆の生活レベルを上げる、
という難しい経済運営の
舵取りを行っていかなければなりません。

一方の相違点は、
天安門事件のデモが学生中心であり、
ハンストやシュプレヒコールなど
手法が穏やかであったのに対し、
今回の暴動は、参加者が一般の民衆であり、
やり方もガソリンをまいて放火する、
など激しいものである所です。

共産党中国は、
農民と工場労働者の代表によって作られた国ですが、
その農民と工場労働者に暴動を起こされる、というのは、
中国共産党的にはかなりつらいものがあります。
天安門事件の様に
「インテリ学生のたわごと」で片付ける事は出来ません。

今回の暴動の頻発は、中国共産党にとって、
天安門事件なんかより、ずっと恐ろしい事なのです。


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