第627回
結果に対してまで責任を負う日本人

先日、日本の雑誌を見ていたら、
サッカー日本代表のジーコ前監督の
インタビュー記事が載っていました。

インタビューの中でジーコ前監督は、
今年のサッカーワールドカップドイツ大会で、
予選リーグ最下位だったことについて
「謝れ」という日本人に対して、
それは違うのではないかと言っていました。

ジーコ前監督曰く
「私は代表監督として
ベストを尽くしてきたと胸を張れる。
選手やスタッフを含め、我々は毎日毎日、
本当に一生懸命やってきた。
これだけ努力してきたのに、何で我々が悪いのか。
なぜ、日本人はそういう考え方をするのでしょうか。
ベストを尽くした相手に「謝れ」なんて言うのは、
私が知る限り日本人ぐらいですよ」。

私はこれを読んで、ジーコ前監督の考え方が
大部分の中国の人たちと同じであることに
ビックリしました。
今まで私は「責任の取り方」について、
日本人の考え方が世界の常識で、
中国人が特殊なのかと思っていましたが、
ジーコ前監督のコメントを聞く限り、
日本人の方が特殊だったんですね。

中国でビジネスをする場合、契約書は事実上、
ただの紙切れである場合が多いです。
もちろん、中国企業の人たちも契約の条件を遵守するべく
「ベスト」を尽くすのですが、
契約の時点では予測していなかった事態が起こって、
当初の契約条件が履行できなくなると
「対不起(どぇいぶちー、ごめんなさい)」の一言もなく、
すぐにあきらめて最も合理的と思われる
次善の策を提案してきます。

これに対し「一度約束した契約条件は、
いくら損失が出ようが責任を持って守るべし」
と考える日本企業は、
飽くまで当初の契約条件の履行を迫り、
それによって発生する巨額の損失は当然、
中国側が負担するべきもの、と考えます。

その結果、日本人は中国人に対して
「責任感がなさすぎる」というイメージを持ちますし、
中国人は日本人に対して
「太死板了(たいすーばんら、柔軟性がなさすぎる)」
と感じてしまうのです。

結果に対してまで責任を負う日本人の気質が、
日本を世界第二位の経済大国に押し上げた
大きな要因の一つであることは
紛れもない事実であると思います。
この気質は世界に誇ることのできる日本人の美徳です。

しかし、同時に、
ベストを尽くしても結果が出なかった場合
「お前の人生と引き換えにしてでも責任を取れ!」
という無限責任の考え方が、
日本社会に重くのしかかる閉塞感を醸し出し、
これだけ豊かになっても一人一人の日本人が
いまひとつハッピーになれない原因を
作っているのもまた事実なのではないでしょうか。


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2006年10月25日(水)

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