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17. あなたはなぜ中国に来たのですか?

前回は企業理念や価値観の話をしましたが、
個人や組織の価値観が作り上げられるには、その原体験というものが必ずあるものです。
そして、人間はその価値観に基づき行動を行うものです。

では、「私はなぜわざわざ中国まで来て事業をする。」という行動をとったのか。
どんな価値観が私をそうさせたのでしょうか。
改めて自分に整理するつもりでその理由をお話します。

私が中国に来た直接的な理由は、事業がやりたかったから。
自分が自分の人生に定義する意味で成功を収めたかったから。
そして、世の中に貢献したいと思っているから。
ということになります。

少しずつ話します。
私がなんとなく事業家になりたいなと思ったのは、二十歳ぐらいのころからです。
直接的なきっかけは覚えていませんが、
まわりに、「俺は少なくとも100億ぐらいは稼ぐ。」と豪語し、
「やってみろよ。」と突っ込まれるたびに、「お〜やるさ。」と息巻く大学生でした。
つまり、自己顕示欲の塊のようなものでした。
また、人間は努力によってなんでも手に入れられると信じて疑わない人間でした。

実際、当時の私は、完全に自分のやりたいことだけをやり、
それなりの成果を収めていました。
大学の4年間は毎日毎日テニスに明け暮れ、
多いときは一日12時間もテニスばかりをしたものです。
そして、テニス部の主将としていばり散らすかたわら、学校の成績もかなり良いほうでした。
当時はほかに吸収するものもなかったせいか、
テストの前に3時間ぐらい集中して勉強すると面白いように頭に入り、
ほとんど「優」という一番良い成績をとれたものでした。
そして、大学4年生の引退を迎えると、
今度は勉強がしたいという気持ちにスイッチが入れ替わり、
それも半年ほど集中して勉強しただけで、
奨学金をいただきながら海外の大学院への留学の切符を手に入れられたのでした。

こうして振り返ると、当時の私はかなり傲慢と自信過剰の塊でした。
・ 自分が人生で望んだものはすべて手に入る
・ 努力がすべての成果を決める
・ 成果がでずにぼやく人間は、単に努力が足らないだけだ
と頑なに信じていたのです。

そんな自分の価値観を大きく変えたのが、次の体験でした。

タイの大学院に留学中の当時、
バンコクの中心地の小さなアパートに一人で暮らしていました。
確かペッブリーソイハーという場所だったと記憶しています。
そのアパートから大学まで通う道は毎日同じでした。
アパートを出て、いくつかの屋台を横目に1つ目の角を曲がり、歩道橋を渡る。
それを毎日毎日繰り返していました。
その歩道橋の上には、一人の物乞いのおじさんが
いつもフタのない空き缶を目の前に置きお金を乞うていました。

私にとって彼のその行為は既にあまりに日常であり、
感情的にもなんの影響を受けることもなくなっていました。
彼には申し訳ありませんが、私にとって毎日すれ違う彼は既に歩道橋の一部でした。

ある日の朝、いつものようにその歩道橋を歩いていると、突然その彼と目が合いました。
そして、その瞬間に私は心の中にとてつもない不快感を抱きました。
それは彼の外見に嫌気がさしたとかそういう理由ではありませんでした。
むしろ自分に対する不快感でした。

大げさに聞こえるかも知れませんが、
私は、その日の彼の眼の中に強い生命の存在を感じました。
私にとってすでに歩道橋の一部であった彼の中にです。
そして、私は突然、自分と彼を少し高いところから眺めるもう一人の自分の存在と、
その自分の囁きに耳を傾けました。

「なあ、君はこの真夏のバンコクで長袖を着て歩く。
そう、もうすぐエアコンが効きすぎた教室で授業を受けるために。」
「そして、彼は、片足がない姿で歩道橋の上にゴザを敷き
毎日空き缶をおいて通行人を拝む。」
「この差はどこから来ると思う?」

というのが、もう一人の私の質問でした。
私はそれから3日間ほど、その問題について考えました。

それまでの私の価値観に従うと、
「人生の成果はその人の努力に等しい。」というものでしたが、
どう考えても私と歩道橋の彼の人生の差を
努力の多寡で説明することができなかったのでした。

私の結論はこうでした。
「人生は生まれながらにして不公平である。
日本という国に生まれた私は、生まれながらにして豊かな国家の
教育、福祉、医療が保障され、どう間違っても飢え死にすることはない。
また、豊かな国家に支えられ、友人、先生、良質な書物と触れ合う機会を
多分に与えられている。
これをベースに努力すればたいていどんな成果でも手にすることができる。
しかし、彼には生まれながらにして何もなかった。」
「だから豊かな国や豊かな環境に生まれ育った人間は、
その不公平に豊かな前提条件に基づいて与えられたものについては
世の中にお返しする義務がある。豊かなものには義務がある。」

これに気づいた私の価値観は大きく変わりました。
それまで、「100億円稼いで、車は8台ぐらいかって、自宅にヘリポートがあって・・・。」
などと言っていたものが、
「個人として豊かな暮らしを享受するのはいい。
しかし、必要以上に享受する必要はない。
それよりは自分が社会を通じて営む何らかの活動において
多くの価値を社会に還元していくことにより大きな価値と人生の喜びがあるはずだ。」
というように変わっていきました。

私が「事業」を選んだのは、自分はそれが好きだし、ある程度の適正もあるだろうということ。
そして、自分が頑張るなかで社会に価値を還元していくのに、
やりがいや楽しさを感じることができるということが主な理由です。

そして、邱永漢先生と出会うことで、
いよいよそれを体現するチャンスを与えられたのです。
だから、私は中国で事業をすることを選び、
「なんだってやってやる。」という気持ちで出発することにしたのです。


2007年7月16日(月) <<前へ  次へ>>