トップページ > 成功の都「成都」からの便り > バックナンバー

   毎週月曜日更新
174. 恥ずかしい話

先日、久しぶりに自分で車を運転していました。
交差点を左折するとき(中国は右側通行です)
左のほうから私の車めがけて横入りをしてくる車がいまして、
私は負けじとその車との車間距離を狭めて
プレッシャーを与えました。

しばらく直進すると、
さっきの車が今度は右に並んで並走してくるではありませんか。
中国ではよくあるんですが、(いや、日本でもあるな)
文句を言うために並走して、窓を開けて大声で罵ってくるのです。

私は、罵られて気分を害するのがいやでずーと無視していましたが、
様子がおかしいことに気づき視線をそちらにやると、
何かを私に伝えたいようです。

「・・・」
「おーい、左の後ろのタイヤパンクしてるぞ。。。」
「あっ、ありがとう・・・。」

メンツないとはこのことです。

いやなおっさんだと思ったその人は結構いいやつで、
最高にいやな奴はこの私だったわけです。

自分を最高に恥ずかしい人間だと思った私は、
こんな小さな出来事ですが反省をしました。

こんな風に人を決め付けて勘違いしないためにはどうしたらいいか?

中国に旅行に来たことがある人はご存知かと思いますが、
現在の中国における行列のお行儀は特に劣悪です。
そうした環境に慣れてしまうと、
行列をするときは、横入りをされないように、
縦横に気を張り巡らし予断を許しません。

でも、病院で行列しているときに、
調子が悪くて横入りをしたい人もいるはずです。

悪い環境に自分の身をおくと、
自分の心が狭くなったり、ひん曲がったりすることがあります。
以前、仕事のパフォーマンスが至上命題であった会社にいたときは、
それこそビジネススキルがなく、パフォーマンスが出ない人間を
軽視するような心が見え隠れすることもよくありました。

でも、大切なのは、その環境で大切であるとされていることが、
他の環境でも真実であるなどとは思わないことです。

人としての真実を環境にとらわれずに見つめ続けられること。
そうした心のゆとりを保ち続けていること。

それを、自分の恥ずかしい話と体験から心することにしました。


2010年7月26日(月)

<<前へ  次へ>>