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28.僕と邱先生が出会った日、そして僕が北京を好きなわけ ♯2

邱先生からの
「一緒に北京へ行きますか?」
という面接で2週間後に初めて北京を訪れ、
邱先生と当時の北京を見て周り、
中々出来ない経験もさせて頂きました。

初めて訪れた北京での4日目の朝

邱先生から
「君、これからどうするの?」
という問いかけに、二つ返事で
「勉強させてください」
こう答えてから、約2ヶ月後の2005年11月16日
北京で働く道が開かれたのです。

あれから、あっという間に2年もの月日が流れ
今に至りますが、
この2年間でスタッフに裏切られた事もありましたし
北京での生活が鬱陶しい事もあり、情けない時もありました。
それでもこの街、この国を嫌いにならないのは、
私には大事なリセットボタンがあるからです。

そのリセットボタンは、
私が初めて北京に来たときの気持ちや、
感情を思いつくままに書き記した日記帳です。

これを行き詰った時、
不安を感じたときなどに時折パラパラとめくり、
読み返してみるのです。それにはこんな事が書いているのです。

「絶対この北京に来て成功する!」

「なんとかここでやれる事はないだろうか?」

などなど、仕方のないことから、
聞き取った中国語をカタカナで書いてみたりと。
はたまた、先生から食事についての席順や、
マナーの注意を受けるなど。
色々と書いているのです。

改めて読み返してみると、
暑苦しい自分だったんだなぁ、とすら感じますが。
この暑苦しさこそが、
今でも北京に居たいと思う原動力になっている事であることも
また事実です。

ビデオカメラマンの道を捨ててでも来たい!
と思って邱先生に履歴書を送ったのですから
それなりの覚悟も一緒に北京に持ってきたつもりです。

覚悟を持ってきたから好きなんだというわけではありませんが、
それも一つの大きな理由です。

あまり良くないニュース、情報が多い国ですが
自分が新たな価値観を見出す場所として選んだ
この北京は私にとって、まだまだ自分探しの列車旅の途中です。

成功するためには、
私一人の力では到底たどり着くことは出来ませんが、
これからこの街で逢う運命の人や運命の場所、
そんなチャンスがくるか
いまから楽しみで仕方ありません。

そんなチャンスを頂いた、邱先生には
いまから、ありがとうございます。
といい続けても言い足りないほどの
「ありがとう」
が有るのですが、それは僕が成功するまで
引き出しにしまっておきたいと思います。

次回へつづく


2008年4月9日(水) <<前へ  次へ>>