十七、獅子文六の「バナナ」

ある日、読売新聞文化部長の赤沢正二さんから、「獅子文六さんがお宅に食事に伺いたいといっておりますが……」と電話がかかった。
私が知っている獅子文六といえば、戦時中、岩田豊雄という本名で、「胡椒息子」というユーモア小説を書いていた頃からであるが、私が東京へきて小説家を志す頃には、「自由学校」「大番」とつぎつぎに大ヒット小説を書き、吉川英治先生と並んで日本国中の人気を二分しておられた。すべて人気作家は、その時代の風潮に敏感で、うまく人の心をとらえる才能をもった人たちであるが、文六先生の場合は、暗い世相の中で、明るさとユーモアを求めていた人々の心に投じたのであろう。
有名作家になると、一種のスターであるから、あることないこと、噂を立てられて、いやでもこちらの耳に伝わってくる。獅子文六にまつわる噂の中で最も真実味を帯びているのは、稀代のケチということであった。新聞記者や雑誌記者が原稿をとりに行っても、お酒を出すどころか、コーヒー一杯出てきたためしがない。もちろん、中元、お歳暮のプレゼントなんてくれたことがない。あるとき、珍しく紙に包んで「これ、君にやるよ」といわれたので、記者が家へ帰ってあけてみたら、自分の使い古したワイシャツを洗濯したものであった。「どうも昔の殿様が、ご下賜品を賜わるような感覚らしいですよ」と、別の記者が面白おかしく私に話をしてきかせてくれた。またある記者は、「獅子文六さんは、どこかの新聞社で連載を書いていると、原稿料だけでなく、生活費もその新聞社が全部、丸抱えで払うものと心得ているらしいよ。ゴルフの道具を買ったときも、新聞社にツケておけ、といって、担当者が弱ったそうですよ」
それに対して別の記者は、「文六さんは一つの小説を書いていると、全力投球をして、他の仕事はいっさいやらないから、そのあいだの生活を保証してもらって当り前と考えているのですよ。フランス仕込みの合理主義者ですからね」。これなどは例外的に好意的な意見といってよいだろう。フランス仕込みには違いないが、フランス仕込みは、永井荷風先生を見てもわかるように、ケチというのが特長である。合理的とケチは紙一重で、日本人はたいていそれをケチと受け取るから、獅子文六がケチと思われてもやむをえないだろう。

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