二十三、永遠の少女・森茉莉

池上線石川台の家には約六年半住んだ。この家は、『コリヤーズ』という百科事典の日本代理店をやったアメリカ人が、百科事典の売上げ代金を猫ババして建てた大きな洋館で、近所の人から「雪谷御殿」と呼ばれていた。アメリカ人は、本社から訴えられて形勢不利だったらしく、私たちから金を借りて、しばらく代わりに住んでいてほしいと頼んだまま、いずこへともなく姿を消していた。
御殿と呼ばれた家だけあって、外観は堂々としていたし、四十畳くらいある応接間は二階まで吹きぬけになっていて、アメリカ映画に出てくるような螺旋階段で二階までつながっていた。しかし、どことなく陰気な家相で、うちの女房にいわせると、両手に大きなトランクを提げて、「じゃ、ねえ、バイバイ」とさよならをいって妻が家を出て行くような感じの家だったそうである。この家に住んで、離婚の本番こそやらなかったが、女房の心は晴れ晴れしなかったし、私も生まれてはじめてのヨーロッパ旅行に出かけたものの、三十九年の不況にぶつかったし創作活動も思うにまかせず、歌謡曲の作詞などをして無為徒食の一年を送ったこともあった。
歌謡曲をつくった時分は、山本直純、藤家虹二、山崎唯、アイ・ジョージ、坂本スミ子などの作曲家や歌手などが入れ代わり立ち代わり姿を見せたが、一般に舞台生活を送るような人たちは、幕間に店屋もんのかつ丼やざるそばで簡単にすませるらしく、食べ物は何を食べても同じという人が多いとお見受けした。なかでも、宴会の途中で盛んに電話がかかり、人が三日間もかけてつくった料理なのに、「テレビがはじまるから」「リハーサルをやりますから」と中座する人が多く、とうとう私の方で「芸能人はお断り」と、芸能界の人をシャットアウトするようになった。上場会社の大社長で、芸能人よりもずっと忙しい人たちでも、私の家で食事をするときは、七時から十一時まで、秘書たちにも電話のとりつぎはいっさい禁じているのに、食べ物に関心のない、育ちの悪い人たちは、平気で途中で席を立ってしまうのである。
だからこの六年あまりは、たいしてお客をしなかった。それでも古いメニューを見ると、丸井の青井忠雄夫妻、最近、無人工場ですっかり有名になった山崎鉄工所社長の山崎照幸氏、角栄建設社長の角田式美氏、アンネ社長だった坂井泰子夫妻、丸三証券社長長尾貫一氏、荏原製作所社長の畠山清二氏、大和証券会長千野冝時氏、西武百貨店の堤清二氏、アイデア紳士の片山龍二氏、経済評論家の高島陽氏、東工大教授の宮城音弥夫妻、上智大教授の蠟山道雄夫妻らの名前が見える。

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