たとえば、北海道に行くと、鮭、鰊、鱈、毛蟹、平貝、甘海老、馬鈴薯、とうもろこし、牛乳等々、土地の特産物がある。ではこれらを上手に加工した北海道料理があるかというと、どこも同じで、似たような加工法しかない。もしここに創作料理の才能をもった人が現われて、独特の郷土料理をはじめたら、北海道中の人気を集めるようになるだろう。同じことが北陸についても、九州や四国についてもいえる。必ずしもその土地の土産品でなくても、新しい加工技術を工夫すれば、それがその人の、さらにその土地の名物として定着する可能性が大きいのである。
そういう目で見ると、おいしいものに目がないということは、次の時代を生きる商売の役にも立つし、そういう商売をやろうとしている人たちのヒントにもなる。私なら、もし貧乏したら、あれを売っても飯が食べられる、これをつくっても飯が食べられると思っているものがいくつかある。だから飯が食べられなくなる心配はないが、そうなると貧乏する可能性もまだ当分はなさそうである。したがってまた邱飯店が生活の資を得るために有料で公開される見込みもまだまだ先のことになりそうである。
「好きこそ物の上手なれ」で、好きなことを職業にすることが流行する時代になったが、職業になると途端にいままでとは違った別の心配事が生じてくる。その意味で、邱飯店を公開しないことは私にまだささやかなしあわせが残っているということであって、どうかこれまでおいでいただいた方々も、また、私から招待状が舞い込んでくる日を楽しみにお待ちいただきたいと思う。

     3 あとがき

←前章へ

   

次章へ→
目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ