Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第23回
強制退去命令を受けている友人に再会しました

邱さんの希望はもともとは学者になることでした。
そのため台湾の銀行員時代に学位をとるための論文を書いていたことは
前に書きました。
香港から日本を訪れるようになった邱さんは、
東大時代の恩師の北山富久二郎先生を訪れ、
学位をとることについて相談したようです。
当時、北山先生はすでに学習院大学に移籍していました。
卒業した東大経済学部はマルクス経済学の総本山の
ようなところになっていました。
邱さんの博士論文は修正ケインズ理論というべきもので、
提出しても、受けつけてもらえそうな雰囲気ではありませんでした。
北山先生から、
『君のような“風とともに去りぬ”のレッドバトラー役をやるような男に
 博士なんか似合わないよ。君は肩書なんていらない人間だ』
と言い放れました。
“風とともに去りぬ”のレッドバトラー役なんて
北山先生もなかなかカッコいい言葉を使われたものですね。
学者への道が開けそうにないのであれば
他にどんな道があるのでしょうか。
邱さんは活字と接触がないと飢えを覚える人です。
香港には本屋がほとんどなく、
また日本語の本も手に入りません。
日本から『オール読物』とか『小説新潮』のような雑誌を
送ってもらいました。
そして送ってこられた雑誌を読み、
「ここに書かれているのを小説というのなら
 自分にも書けるのではないだろうか」
と思いました。
そういう邱さんに小説を執筆する機会が訪れました。
機会を提供したのは台北高校、東大と同じコースを歩んだ
王育徳さんでした。
王さんはもともとは東大文学部の学生で、
戦争中に台湾に戻っていました。
戦後、台湾が住みにくくなり、
王さんは香港に亡命中の邱さんを訪ねました。
そして邱さんのはからいでヤミ船に乗って東京に戻りました。
邱さんは二度目の東京出張の際にこの王さん再会しました。
王さんは東京での生活が落ち着いたところで、
台湾から観光ビザで奥さんと娘さんを呼び寄せ、
親子三人で暮らしていました。
が、観光ビザは二ヶ月の期限です。
二回切りかえることができますが、
六ヶ月たつと切りかえがきかなくなります。
王さんは自ら警察庁に出頭し、
日本での居住権を認めてもらうよう動きますが、
裁判所にまわされると、一審も二審も判決は『強制退去』でした。
王さんはすっかり途方に暮れていました。


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2002年9月19日(木)

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