Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第22回
新しい仕事開拓が必要になってきました

邱さんの郵便小包商売は月100万円の利益を
上げるようになりました。
赤坂や新宿の土地がまだ千円だったころの100万円ですから、
毎月、東京の土地を千坪ほど買えるお金を稼いだことになります。
これだけお金を稼ぐと、世間の扱いも丁重になります。
邱さんに奥さんを紹介しようという人があらわれ、
元の居候先の隣に住んでいた香港の有名な薬屋さん藩家の三女、
苑蘭さんと結婚しました。
そして1年半後に長女が生まれました。
本ページで「ほっぷ・すてっぷ・スランプ」を執筆しておられる
邱世賓さんの誕生です。

ただ、一時は儲かった小包商売も結婚したころから
だんだん儲からなくなりました。
ライバルが現れたり、大手が参入してきたためです。
奥さんの勧めで、家を買うことになり、
邱さんの好みで
香港の閑静な住宅地の一軒家が選ばれました。
以後の邱さんの課題は新しい商売を探しだすことです。
香港の沙田でパパイアを栽培することを考え、
何度も土地を見に行きました。
香港から外に出て行くプランも考えました。
セレベス島に行って、コーヒー園を経営するとか
ボルネオ島に行って、高瀬貝を養殖し、
日本のボタン屋に送るとかです。
勝手知った日本に再度訪れ、新しい仕事を開拓することも考えました。
邱さんは日本で何ができるかを考える前から
しばしば東京を訪れるようになっていました。
パスポートは持っていませんでしたが、
香港政府はそういう人のためにアフィダビットという
身分証明書を発行してくれました。
邱さんはこの身分証明書をもって
3ヶ月に一回くらいの割合で
日本を訪れるようになっていたのです。
時間がたっぷりあったので、飛行機より船便を選ぶことが多く、
20台の若さで、ファーストクラスに乗っていたので、
どこのプリンスかと見間違われたそうです。


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2002年9月18日(水)

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