Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第35回
檀さんに病室で短編小説をたくさん読んでもらいました

昭和42年8月、筑摩書房から刊行された
「現代文学大系53坂口安吾・井上友一郎・檀一雄集」には
檀一雄さんの自筆年譜が掲載されています。
その昭和29年(檀さん42歳)の項を覗くと
「3月「ザボンの家」(文学界)、
 4月「梨花」(改造)、
 5月「死んでも喇叭」(新潮)、
 8月『幼年』(別冊文藝春秋)を発表。
 7月『ペンギン』を現代社より刊行。
 6月、長女ふみ出生。
 8月2日、秩父に遊び中津川渓谷にて落石にあう。
 東京より友人坪井與、石山博士を伴い来り、
 其のまま慶応病院に運び込まれる。
 肋骨三本の骨折なり。
 病院にて邱永漢の作品を多数読ませらる。
 退院後熱海に温泉つきの家を借り、
 半移住して『地上』第一部を書き始める。」
といった記述があります。
「病院にて邱永漢の作品を多数読ませらる」という短い文章に
自分の書いた作品を読んでもらおうと檀さんに迫る邱さんの熱意と、
後進の努力の結晶に目を注ぐ檀一雄さんの姿が伝わってきますね。
さて、邱さんは檀さんから師匠の家に行くから一緒に行かないかと
誘われました。
師匠とは佐藤春夫先生のことです
「さんま さんま さんま苦いか 塩っぱいか」の
あの「秋刀魚の歌」で知られた詩人の佐藤春夫さんのことです。
邱さんは檀一雄さんについて
小石川、関口台町の佐藤春夫邸へ挨拶に行きました。
檀一雄さんが
「この人が邱君です」と
紹介すると佐藤春夫先生は
「あの小説は合格です」と
答え、出版に際し、推薦者となることを承知されました。
ちなみに「6月、長女ふみ出生」とは女優として、またエッセイストとして
活躍されている檀ふみさんの誕生のことですね。


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2002年10月1日(火)

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